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小説

講談社刊 1997年
銀座広告社第一制作室

はじめに

この「銀座広告社第一制作室」では、各章の冒頭にかつて放映された、実際のコマーシャルが、文中にはそれにまつわる、新聞記事が掲載されている。

この小説はそのコマーシャルをみた作者が、それに触発されて、イメージしたまったくの虚構の世界である。

実存する団体名、個人名が数多く出てくるが、それは虚構のリアリティーを加速したいという作者の意図からであり、語られたことと、登場した団体名、個人名との間にはなんらの相関関係はない。

またそれにより、およぼす影響のすべての責は作者にある。

文中引用した新聞記事は小説のストーリーと関連させるために個人名、組織名の改竄をしたが、それらを除き、引用した文章は発表された日の内容のままである。

参考文献はまとめて末尾に掲載した。


第1章 二十の赤い薔薇

「ノム、ちょっと俺の部屋まできてくれないか」

制作局長の結城新一郎から野村憲一に急に電話で呼び出があって、「室をもってみないか」といわれたのは、五年前の夏の暑い午後のことだった。

日課にしているジョギングが終わったばかりで、Tシャツと短パンのままだった。

「この真夏にジョギングをするのか。シャワーはどうしている」

汗がまだしたたり落ちる野村の様子をみて、結城は思わず聞く。

「シャワールームもない貧しい銀座広告社ですから。トイレでバケツにお湯を汲んで体を拭いています」

そういって野村は無造作にタオルで襟首をごしごしとこすった。

あきれたという顔をしながら結城が一枚のはがきを差し出す。

「大事なはがきだ、濡らすなよ」

広告主、媒体社、広告代理店、そしてコマーシャルを制作するフィルムプロダクションで構成されるACC(全日本シーエム放送連盟)という団体がある。一年間で九千本以上放映されるというコマーシャルの中から、ACCは毎年、その年の優秀コマーシャルを選定する。団体設立三十周年の記念に、《昭和の広告百選》として昭和六十年までのベストコマーシャル百本を選びだした。

そのはがきには、結城のかつてやった仕事の中から五本が選ばれたと書かれている。

「ノム、結城先生は優秀な制作者だったということがこれでわかるだろう」

選考結果のはがきを大事そうに取り返すと、結城は嬉しそうにいう。

「でも、選ばれたユーさんのは、昭和四十年から五十年の間であって、そのあとはないじゃないですか。まあ、かつて優秀だったという古いタイプの制作者ということになるんですかね」

おめでとうございますと素直にいえない、それが自分の悪い癖だとしりつつ、いつも野村はどこか斜めの、もののいい方をしてしまう。

「馬鹿野郎、じゃお前さんは何本入ったというんだよ。ひよっこが、なまいきな口きくんじゃない」

ものいいは悪かったが、こんな時の結城は真剣に怒っていない。ひょっとしていいニュースかもしれないと思ったらそのとおりだった。

「おめでとう、ノムは一本だ。まぁ、日本の制作者のやっと隅っこにしがみつけたということだ。でも、結城さんに負けたということだけは忘れるなよ」

制作者同士というのはいつまでたっても困った存在である。あいつよりも俺ができる。あいつに勝った。負けた。そんなことをみんながいつも無意識のうちに思っている。

きっとなにが正しくて、なにが間違っているというルールが広告の世界にはないからだろう。考えた企画を得意先が買い、世の中が受け入れるてくれるかどうかだけが勝負だった。あと数年で定年を迎えるという、結城新一郎にしてそうだった。野村といつまでも勝った負けたという意識でいる。いつまでも消えない現役意識。このがつがつした結城の精神を野村は決して嫌いではなかった。

「で、どうだ。これを機会に室へやをもってみないか」

ふいにそういわれて、野村は驚いた。

こんな陣容でやってほしいといわれてメモを渡される。

そこに書かれた名前をみて、野村はしばらく黙っていた。

福田拓馬ふくだたくま。渡部源次わたなべげんじ。岩倉一成いわくらかずなり。堤公平つつみこうへい。

「すごいですね、うれしくなるような問題児ばかりじゃないですか」

「うん、火薬庫みたいな室へやをいつか作ってみたかった。まあ、俺もいろんなことをやってきたけど、銀広ぎんこう最後の賭けというやつだ。うまくいけばめっけもの。この人事で失敗したとなれば、優秀な制作者の晩節を汚したということになる」

銀座広告社に四十歳半ばで入ってきた結城にとって、営業至上主義の会社で制作出身の役員になれるかどうかのぎりぎりの時期だった。

銀座広告社は業界最大手の電通、二位の博報堂に次いで三位の座を東急エージェンシーと常時争っていた。ある年は七億円の差で三位の座を東急エージェンシーに明け渡したかと思うと、次の年は十三億円の差をつけて銀座広告社がその座を奪還するという規模で、決め手に欠けるという点では、両社とも変わらなかったのだろう。

日本の広告の三十パーセントの占有率をもつ電通と、その二分の一の規模の博報堂で全体の四十五パーセントを占め、残りを八十社の広告代理店が分け合うという、特殊な寡占状態の業種にあって、業界三位といっても上位二社にとってはあまり意味のあるものではない。

しかし東急エージェンシーと銀座広告社にとって、三位の座を確保できるかどうかは業界を生き抜くうえで、いつも至上命令だった。広告業界では表現企画の競合が常識になっていて、多くの場合、業界上位三社がよばれる。だから前年度三位の座をなんとか確保することは、両社にとっていつも生命線になった。

結城のいう最後の賭けというのはそのことをいっていた。火薬庫みたいな室へやを作り、競合に勝ち抜くことで業績を伸ばす。結果、結城は役員の椅子を手にいれ定年を伸ばす。その相棒として結城は野村を指名したというわけだ。

「しかし、よくこれだけ問題児がこの会社にいたもんですね」

「うん、付箋つきの奴らばっかりだ。上司に吠える、かってに仕事を進める。競合を戦争だと思っている。仕掛けが大きいほど興奮する。そんな嫌われものを集めたらこんなメンバーになった。問題は室長にすえようという野村憲一。これが一番の付箋つき。安全パイの仕事だけをしたい、ノムのところの室長はとにかくお前を室へやからだしたいといって、いつも泣き続けていたんだから」

広告というものは野村君、アジテーションじゃないんだ。もっと穏やかに美について考えるものなのだよ。そういって版下の罫の一ミリ、二ミリのことをいつまでも気にしている室長からようやく逃げられる。野村はほっとしながらいった。

「でも、よくみるとなかなかいい点もあるじゃないですか。みんな名前のほうがユニークだ。源次。拓馬。イッセイ。公平。それだけ個性の集団といえるかもしれません。ひとつだけお願いがあるんですが、このぶらさがり健康器みたいに、人の後ろにぶらさがっているのが慣れっこになっているのを、はずしてもらえませんか」

「駄目だ。組織というのはいつもパーフェクトがない。危険パイは分散してもつしかないだろう。ノムのところでもそのぶらさがり健康器をあずかってもらわないとな」

「でも、ぶらさがっているうちに、村田喜一は落ちるかもしれませんよ」

「落ちたら落ちたでいい。ノム、お前の好きなようにして室を動かしてみろ」

「じゃ、もうひとつのお願いなんですが、競合のための企画書も、アイデアも事前にユーさんにみせなくていいということにしてくれませんか。室へやをはっていく以上、誰かのご意見や顔色を伺いながらやりたくないんです。俺のやりかたで競合を三回落としたら軍門にくだるという条件で室長を受けさせてもらいます」

「ノムはすぐ軍門にくだるとかうれしそうにいう。それじゃ、プロレスの世界か、やくざの世界と同じじゃないか」

「深作欣二の《仁義なき戦い》で、菅原文太が広能組ひろのうぐみを興す時に、金子信雄の親分にいうでしょう。テラ銭だけは親分のところに確実にあげるから、好きなようにやらせてくれと。それでいいですね」

「ノム、お前のやりたいようにやってみるんだな。でも、事故が起きてから報告を受けても遅い。起きそうな時は、俺が対処できるうちに報告してくれ。うまくいったことは仕事がすべて終わったときでいい」

それからつけ加えるように口ごもりながら結城はいった。

「金子信雄は文太の申し出に、親を親と慕えともいったぞ」

「でも優柔不断な親を慕い、犠牲になっている間に、文太も小林旭も落ちていき、金子親分だけが生き残りましたよね。そんなこと、この銀広ぎんこうではごめんですよ」

「ああ、俺も金子信雄にならないよう気をつけよう」

映画好きのふたりの会話は結局、いつもこうなる。

そうやって野村憲一がはじめて自分の室をもってから五年がたった。

野村はその間に新しい新規の得意先をずいぶん獲得した。硬軟とりまぜてそれぞれの業種のトップクラスの得意先が野村の室に集まってきた。二年目に結城新一郎は銀座広告社始まって以来の、制作出身の役員になった。

野村はいつか銀座広告社第一制作室長となり、室は十六人の大所帯になっていた。

「ノム、ちょっと俺の部屋まできてくれないか」

結城から電話があったのは、夕方近くになったというのに、夏の日差しがまだ燃えさかっているような、暑い日だった。

野村は少し憂欝になった。またなにか自分の知らないところでトラブルが起こったに違いない。壊れたブラインドからうだるような西日が差し込んでいた。狭い部屋に男たちの汚い机がひしめきあっている。日課にしている昼休みのジョギングのあとにブラインドの横に干しておいたTシャツは午後の陽に照らされて、すっかり乾いていた。野村はそのTシャツで自分の首筋をごしごしとこすった。壊れたブラインドの向こうに京橋の高速道路がみえる。夕方の渋滞が始まったのだろう。何台ものトラックが午後の残光をうけてゆらゆらと燃えたっていた。

結城の部屋のソファには営業の盛田仁志が座っていた。社内では盛田仁志を縮めてモリジンと呼ばれ、なかなかの切れもので通っている。確か、同年齢の誰よりも早く、その年の春に、部長兼務の局次長になったはずだが、一緒に仕事をしたことはない。野村は口をきいたことのない相手に対していつももつ、奇妙な照れくささを隠しきれず、下をむいたまま盛田の横にそっと座りながらいった。

「いつまでも暑いですね。昔、《狼たちの午後》というアル・パチーノの映画があったでしょう。なんの理由もないのに暑さの衝動から銀行強盗をしてしまう。あの事件はこんな暑さの日に起こったんじゃないですかね」

「あの映画の原題を知っているか」

結城が野村をよびつけたことも忘れて、野村の話にのってくる。知らなかった。いいえという顔をする野村に結城は得意気にいう。

「DOG DAY AFTERNOONという。ドッグデーというのは英語で暑くて暑くて気が狂いそうな日くらいの意味かな。あの映画は原題より、狼たちの午後のほうが気分がでていたな」

「最近は《ペット・セメタリー》だの《フライド・グリーン・トマト》だの、オリジナルタイトルのまま公開する芸のない映画が多いでしょう。昔のほうがいい邦題の映画が多かった」

ふたりの話を黙ってきいていた盛田が野村の話をひきとった。

「確かに。ルネ・クレマンの《狼は天使の匂い》なんていうのは、映画の雰囲気をそのまま残したいい題だった」

「あれ盛田さんはなかなか渋い映画を見てますね。あの原題というのはAND HOPE TO DIEといって、あとは死を待つだけさぐらいの意味ですかね。あの映画は原題も邦題もよかった」

「うん階段の上で倒れたロバート・ライアンがもっていたビー玉がゆっくり跳ねながら落ちていく。人が死んでいくというか、朽ちていくというのは、こんなゆっくりしたスピードなんだろうと、あの映画を見ながら思ったな」

もう二十数年前の映画のことを、盛田はいま映画館からでてきたばかりのようにうれしそうにしゃべった。野村は初めて口をきいた盛田に興味をもった。その瞬間を見透かしたかのように結城がいった。

「モリジンとノムでからからに乾いた午後を突っ走るような無鉄砲な仕事をしないか」

「いいですね。狼たちの午後にどこへ押し込み強盗をすればいいんです?」

仕事のトラブルではなく、新しいプロジェクトの誘いだったことに野村はほっとしながら聞いた。

「東京保健庁に押しいってもらいたい」

結城の返事を聞いて、野村はもう腰をあげようとしていた。官公庁の仕事はずっと断ってきていた。

鹿児島の指宿の高校を卒業すると、一年浪人して、第一次学生運動の真っただ中に機動隊に見守られながら大学の入学試験を受けた。七十年安保、東大安田講堂の陥落と続き、一九七十年三月三十一日のよど号ハイジャック事件がおきた日が卒業式だった。けっして学生運動に熱心だったわけではないが、野村の学生生活の隣りにはいつも政治の日々が好むと好まざるとあった。まずノーといってみる。権力を拒否してみる。そんな学生時代の雰囲気が野村たちの世代の中には色濃く残っている。野村たちの世代が銀座広告社でも現場をまかされ、中間管理職として台頭してくるに従って銀座広告社の社長である飯野智身は嘆いた。

「なにが団塊の世代だ。こいつらはノーの世代だよ。とりあえずノーといってみなきゃ気がすまないわけのわからない世代だ。こんなのが管理職をやりだすと、上意下達という日本の企業活動の根幹が崩れてしまう」

確かにノーの世代が産業界の中心を占めるに従って野村たち広告業界だけではなく、日本の経済そのものの機構が少しづつ変わりはじめたのかもしれない。会社の指令に対して本来はそれを実行する現場責任者がノーといって動かない。そんな幼さを野村たちの世代はいつまでも持っていた。特に権力側を生理的に嫌う感覚はいつまでたってもなおらなかった。

総理府の仕事、原子力発電所の啓蒙キャンペーン、郵政省の仕事。ことごとくを断ってきた。なぜ嫌なのか、それを結城に明確に話したことはない。忙しくってとか、海外出張を控えているのでとか、あまり拒否の理由にもならないことを口の中でボソボソといって、のらりくらりと官公庁の仕事から逃げ続けている。

「保健庁というのは、ちょっと勘弁してもらえませんか。いま、持ち駒は手いっぱいなんです。拓馬は来週からパリの長期ロケ。イッセイは春の口紅のキャンペーンにまわっているし、公平と源次は新車にかかりっきりで」

そういいながら野村は結城の部屋からもう逃げださんばかりだった。

「まあ、落ち着け。ノム。断るならモリジンの話をじっくり聞いてからだ」

野村はそのひとことで再びソファーにしぶしぶと腰を落とした。

「で、なんのキャンペーンなんです。盛田さん、東京保健庁がやろうというのは」

「エイズ防止キャンペーンさ」

ぼそりと盛田がいってからにやっと笑った。しばらくしてつけ加えるようにいった。

「それもポスター一枚なんてチンケなものじゃない。三億五千万円もかけてテレビもやるといっている。エイズを止めるのに東京保健庁は真剣だ。日本始まって以来のキャンペーンだ」

その顔はどうだ断れないだろうといっていた。盛田も結城もそのあとはなにもいわない。結城の部屋には夏の夕暮れ特有のぬめっとした空気がよどんでいた。

その地熱のような暑さのなかで、野村はいつまでも下をうつむき、受けるか受けないか考え込むふりをし続ける。しかし盛田からエイズと聞いたとたんに、ほんとうは野村は声をあげて叫びたかった。

「やったエイズがやれる」

この考えはきっと不謹慎なのだろう。しかし、野村の広告屋としての、それが正直な気持だった。こんな大型の新商品に出会える機会なんてめったにない。

よく広告は時代を半歩リードしているといわれる。でも広告業界に生きる男たちは本当に半歩先を読んで企画を書き続けているのだろうか。

新しい生活様式を提案する商品。その商品のもつ価値情報を語ることだけで広告はいつも新鮮だった。そんな新製品に出会えるかが、制作者の別れ目になった。

結城の時代は広告制作者として幸せな時代だったといえる。カラーテレビが生まれ、電気毛布が開発された。サイダーしか知らなかった日本人の味覚にコーラや百パーセントオレンジジュースが襲う。日本人の探究心と勤勉さが次々と新しい商品を生みだしていく。

結城の手掛けた仕事が《昭和の広告百選》に五本も選ばれたという事実は、結城が新商品と数多く出会ってきたからだろう。もちろん、ひとつの新製品と出会い、新しい生活の可能性を的確に描ききることで、次の新製品にめぐりあう機会を手にしてきた、結城の実力や誠意や企画力を認めたうえで。

野村たちが第一線で仕事をまかされる八十年代と共に、極限までいった産業技術は新しい商品を産みだせなくなった。NTTの民営化、国鉄の民営化、携帯ステレオ、使い捨てカメラ、携帯電話という新商品にすべての制作者が出会える機会などほとんどない。才能のある人間が自分の感性と一致する新商品に出会えず、ただ朽ちていった例を野村はいくつもみてきた。だから室に新製品がくると、それがどんなに小さい商品であろうと、どんな小さな会社のものであろうと丁寧に扱おうと、ここ数年野村は室の全員に口を酸っぱくしていい続けてきた。

「エイズ」。いま一番旬な新商品に出会えるのだ。

連日エイズ報道がなされていた。不治の死の病にたいして人々は恐怖にかられていた。エイズ患者の急増がその不安をさらにあおった。世界中で誰もがこの初めて出会う病に戸惑っていた。野村も深い知識がエイズについてあるわけではない。しかし、アメリカのエイズ対策が遅れたのは、啓蒙キャンペーンがうまく機能しなかったのが原因だった、ということぐらいは広告屋として知っていた。スイスやオーストラリアでは麻薬常習者の注射針からエイズが感染するのを恐れて政府自らが注射針を配っているという。

日本のエイズキャンペーンが機能したという話も野村は聞いたことがなかった。盛田のいうとおり大々的なキャンペーンはそれまで行われてはいなかった。

厚生省がかつてポスターを作ったことはあった。「いってらっしゃい、エイズに気をつけて」というコピーと一緒に男がパスポートをかざしながら笑っているポスター。もうひとつはコンドームのイラストレーションの中に裸の女性がすっぽりと包まれているポスターだった。だが、パスポートのほうが買春ツアーを促進していると、コンドームのほうは女性蔑視だとして、婦人団体とウーマンリブの運動家たちが騒ぎだし、新聞で大きくとりあげられた後、掲載中止になってしまった。

エイズ防止キャンペーンという誰も成功しなかったキャンペーンに挑戦してみたい。

世界でも、日本でも、まだ誰も止めたことのない、暴走機関車のような新商品に出会える機会はめったにない。野村は不謹慎だが嬉しいと思った。

やった、エイズがやれる。

それが野村の広告屋としての正直な気持だった。その嬉しさがうつむいて仕事を受けるか受けないか迷ったふりをしている顔にでたのだろう。見透かすように結城がいった。

「聞くところによると新車、春の口紅、海外出張と忙しいんだってな。この話、他の室へやにもっていってもいっこうにかまわないんだ。いままでの官庁担当室もあるんだし」

「勘弁してくださいよ。どうしてもやらせてもらいます。いや、やらせてください」

野村は素直に頭をさげた。部屋にたまっていた夏の夕暮れの暑さが動く。

「ノムさんよろしくな。AND HOPE TO DIEのエイズを俺たちでなんとかできたらいいじゃないか。この仕事で俺がやれることはノムさんを指名することだけだ。あとはじっとAND HOPE TO DREAMだ」

こんな営業ともっと早く出会っていたら、いい仕事がたくさんできたのかもしれない。そう思いながらも野村はまた斜にかまえたものいいをしてしまった。

「スタッフを決めたからといって、仕事が決まるわけではなし。何社の競合を勝ち抜けばいいのです」

盛田がこともなげにいった。

「十二社だ」

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