ようこそ「一人広告代理店」馬場コラボレーションへ

小説

講談社刊 1997年
銀座広告社第一制作室

第2章 一枚の写真

その日なぜ野村は早く家に帰っていたのだろう。後から考えると、その日からこの不思議な旅は始まっていたのかもしれない。

午後十時に家にいる。それは野村にとって奇跡に近いことだった。室の連中がいつまでも夜中まで残って仕事をしているのを尻目に、野村は銀座広告社を少なくとも、午後八時には出ていた。しかし、そのまま家に帰ることはほとんどないという生活をここ二十年以上送ってきた。夜の銀座の街をさまよい歩き、映画をみ、深夜までやっている本屋で新しい本を物色し、イレーヌのカウンターに立っていると、夜の時間はあっというまに過ぎてしまった。会社の連中と連れだって飲みにいくということが苦手だった。

早く家に帰ってテレビをみていても、あまりの程度の低さに腹が立った。それと自分のやったコマーシャルが突然何の予告もなしに流れてくると、ひどく狼狽した。高校一年と中学二年のふたりの娘はダサーイとかエグイとかいう、野村のまったく理解の外にある言葉で、野村の作ったコマーシャルとも知らず、一刀両断のうちに野村の仕事を切り捨てていく。そして、高校教師と学生が不倫に落ちる話や、マザーコンプレックスの男の恋愛話という連続ドラマを子猫がじゃれ合うようにしながらみていた。たまに早く帰ってくると野村は腹立たしげに黙ってテレビのスイッチを消した。「なにするのよ。いいとこじゃない」。「帰ってこないでよ」。

そんな娘たちの文句をいいことに野村は「我が家は門限が厳しんです。午前十二時前に帰ると怒られる」といいながら、ほとんど毎日、夜の銀座をさまよい歩いていた。実際、午前十二時前に帰るということは年に数えるくらいしかなかった。

そんな野村が午後十時前に家にいた。よほど体が疲れ果てていたのだろうか。

エイズキャンペーンが無事終了したばかりだった。放映中は一般視聴者の抗議でキャンペーンが中止にならないことと、立ってもらった人々に迷惑がこうむらないことだけをひたすら願っていた。二カ月以上続いた緊張の連続の日々に、精神も肉体も限界にきていたのかもしれない。

とにかくその日は年に数回あるかないかの日だった。

野村は食べ過ぎたおなかを休めるようにして、午後十時から始まったテレビ朝日のニュースステーションをみていた。少しうつらうつらしていたかもしれない。久米宏がいつもの少し甲高い声でアメリカ大統領選の結果を報告している。現大統領ブッシュを押さえて、アーカンソー州知事でしかなかったクリントンが第四十二代大統領として決まったといっている。アメリカで大統領選が行なわれていることは知っていた。しかし、エイズキャンペーンの忙しさに紛れて、新聞を詳しく読む暇もなかった。大統領選の報道は見出しを飛ばし読みするぐらいで、ほとんど関心もなかった。

早く家に帰ってくると、どうしてこうも駄目なのだろう。睡魔が襲う。うつらうつらするなかで遠くに久米宏の声を聞いていた。

「それでは第四十二代大統領に決定したクリントンという人はどういう人なのかここで簡単に彼の今までをまとめてみました。彼、クリントンは一九四六年八月アーカンソー州の小さな町ホープで生まれました」

そうか、俺と同じ歳の人間がアメリカでは大統領になる。アメリカンドリームというのはまだ生きている。野村は睡魔で朦朧とした頭の中で、ぼんやり思った。「彼が政治家への道を決めたのは、十六歳の高校生の夏にホワイトハウスで当時の大統領ジョン・F・ケネディと握手した日からだといわれています」

そんな久米宏のナレーションを聞いて、野村の眠気が一瞬のうちに覚めた。

ジョン・F・ケネディという言葉にはいつも野村を覚醒させるなにかがあった。

彼を意識したのは野村が高校二年の秋のことだった。その日初めての宇宙中継の映像がアメリカから送られることになっていた。アメリカから直接送られる映像とは、どんなものなのだろう。まだ東京もみたこともなかった。鹿児島県指宿いぶすきに住む少年には、その映像は衝撃的だった。ダラスのケネディ暗殺。初めてみる海外からの直接の映像は殺人という血に塗り染まっていた。

オープンカーからにこやかに手を振る大統領。その横で微笑むファーストレディー。新聞、週刊誌でしかみたことのない、遠い国のふたりは、実際に動く映像の中で、野村が考えていた以上に力に満ち満ちていた。溢れるような若さがこぼれていた。その瞬間に事件は起きた。オープンカーがゆっくりとカーブを曲がる。突然、その人は後ろにのけ反った。ファーストレディーがオープンカーの前にとび移るようにしてかけ登った。

あの事件が無かったならばケネディ神話はこんなに日本に定着したのだろうか。野村たち高校生にとって週刊誌でみるそれまでのケネディは確かに日本の政治家がもっていなかったすべてのものをもっていた。しかしそれは遠いアメリカという国の存在でしかなかった。一瞬身近にみた光り輝く力。それさえ否定してしまう国、アメリカ。その事実を包み隠さず報道してしまう国アメリカ。そんな思いがこの中継を機に野村個人だけではなく、日本の高校生の間に定着してしまうのに時間はかからなかった。ケネディの人気は、その死を境にしてさらに加速した。後になって露呈するケネディの鷹派的思考、醜聞、ふたりの不仲。そんなものからも野村たち高校生は自由だった。 テレビの前で野村はただ震えていた。銃弾がアメリカから指宿に向かって、そのまま打ち込まれたかのようだった。目の前で起こった事実が信じられなかった。同時にこの生々しい事実こそが自分が追い求めようとしているものなのだと気づいた。こんな事実のそばにいつもいたい。一九六三年十一月二十三日。野村がマスメディアを初めて意識したその日が最初の日だった。

高校二年生の夢はその五年後、入社試験の失敗という形でことごとく崩れさった。そして野村はその隣接のイメージをもつ広告業界に入り、二十五年近くを過ごしてきた。

その間、自分があの高校生の頃感じたケネディという素材をなんとか広告の中で活かしたいといつも暖めていた。

銀座広告社に入って二年がたとうとしていた。その前の会社で野村はコカ・コーラを長く担当していた。同じ商品を表現を変え、視点を変え、照明を変え作り続けることに飽きていた。なぜコマーシャルはこんなに作らなければならないのか。そんな疑問と一緒に銀座広告社に移った。しかし自分の技法をなかなか発見できなかった。いってみれば小綺麗にいつでもヒットや犠打が打てる制作者だった。こんなことをしていてはただの制作になってしまう。そんな恐れがいつも体の奥深くにあった。そんな時に受けた広告説明会は、野村にとって、新鮮で刺激的だった。

「わたしどもはさまざまな情報誌を発刊してきました。就職、結婚、中古車、住宅。しかし情報誌として成功したとはいえ、情報提供企業としての社会的認知はまだまだ残念ながらされておりません。そこで企業広告を制作し、わたくしどもの情報のもっている意味を広く訴えたいと思います。わたくしどもの情報の特徴は加工することなく、情報を読みやすく分類することにあります。その無機質な多様な情報の中にたったひとりの人が必要とする熱い情報があるはずです。加工されない真実の中にこそ情報があります。今までのコマーシャルはものを作り過ぎてきたのではないでしょうか。わたしたちの企業広告ではドキュメンタリーを素材にして、どうぞ飾らず、加工しない無垢のままの映像を提供していただきたいと思います」

広告担当者の熱のこもった語りに野村は興味をもった。メモ用紙のはしっこに「情報が人間を熱くする」と書いてみた。そしてあの高校時代に受けた衝撃を思いだしていた。初の宇宙中継の日に飛び込んできたケネディ暗殺。リアルタイムの情報がどれだけ野村を熱くしたことだろう。どれだけ人々を揺さぶっただろう。あの日の衝撃を描いてみよう。さっそく銀座広告社に帰ると野村は原稿用紙に向かった。

「その人は柔らかい磁石なのだ。その人自身が、情報なのだ。情報は人間を熱くする」

ケネディの暗殺場面をコマーシャルに使用することはできなかったが、大統領として人々の歓迎を受けながらワシントンに入るケネディのフィルムが手に入った。この人は人を熱くさせる情報発信機だったのかもしれないと思いながら、そのフィルムを編集して一本のコマーシャルを完成させた。ケネディの肖像が自由に使えるかどうかだけが問題だった。会社の法務部を通して調べると公人には肖像権がないという世界的判例があった。相手を誹謗したり、営業的利益を上げていない限り、公人の肖像を使うことは自由だった。作らないこと。飾らないこと。コマーシャルという虚構の世界でのノンフィクションという形。初めて野村は自分のひとつの広告形式を発見したような気がした。

しかし、このコマーシャルは不幸な運命をたどった。ケネディのドキュメント広告が全国で放映されてから一週間後、野村は朝日新聞を開いて呆然とした。社会面にでかでかと川崎市におけるリクルートの贈与疑惑が書かれていた。その日から疑惑はどんどん広がりやがて政界に及んだ。新聞記事が小さな点から面に広がっていくのに時間はかからなかった。野村のノンフィクションコマーシャルは放映されて十日目に中止された。しかし、野村にはノンフィクションという形の広告技法が残った。野村はさまざまな古いフィルムを使って、コマーシャルを作ってきた。それらは広告業界におけるひとつの表現ジャンルとなった。

そのケネディと、今度第四十二代大統領になろうとしているクリントンは、高校生の夏に握手をしていたという。

それまでうつらうつらしていた野村は、一気に覚醒し、テレビ画面を見入った。

ケネディが集まった高校生を前にして演説をしている。やがてケネディは壇上を降りると、高校生たちの間に自分から入っていった。そしてそこに並んだ高校生と握手した。それは髪をクールカットにしたクリントン少年だった。

日本でもあの頃の少年たちは、まだビートルズがファッションで影響を与える前だったために、誰もがクールカットだった。その前の年に発売された整髪剤のバイタリスの広告のモデルがクールカットだったのと、三田明、船木一夫、西郷輝彦という高校生ソングを唄う三人の歌手の誰もがクールカットだったからだろう。野村たち鹿児島の少年も、誰もがクールカットのヘアースタイルと白の細いコットンパンツをはいていた。

同じ歳に生まれ同じクールカットをしていた少年。

一人はその時ホワイトハウスの大統領官庭で大統領と握手していた。一人は開聞岳かいもんだけにあがり、池田湖を眺めていた。そして五カ月後、ケネディはダラスで凶弾に倒れた。指宿の少年は、初めて送られてくる死の中継に呆然と立ちすくんでいた。

握手したクールカットの少年はどんな気持ちであの事件の映像をみていたのだろうか。

それまで何の関心もなかった次期アメリカ大統領だったが、一気に興味を覚えた。選ばれた強運の持ち主だけがもつ磁力をクリントンに感じた。

いつか眠気は飛んでいた。

確かにその日の夕刊は読んでいた。朝日新聞の一面トップには「四十六歳クリントン氏圧勝。米大統領選民主党十二年ぶり政権」という大きな見出しがのっていた。しかしそれは自分と関係のない、遠い国の出来事だった。野村は大統領選の見出しを拾い読みしただけで、まともに記事を読んでいなかった。

クリントンという男はどんな男なのだろう。再び夕刊を取り出すと一面のリードを丹念に読んだ。

[ワシントン三日=吉田慎一。三日投票の米大統領選は東海岸の諸州から順次即日開票が進み、民主党のビル・クリントン氏(四六)=アーカンソー州知事=が共和党のブッシュ大統領(六八)、無所属の実業家ペロー氏(六二)の二候補を抑え、地滑り的勝利を収めた。民主党の勝利は七十六年以来で、共和党政権は連続三期十二年で途切れる。来年一月二十日、クリントン氏は第四十二代大統領に、アル・ゴア上院議員(四四)=テネシー州=が副大統領に正式に就任する。ともに第二次世界大戦後のベビーブーム時代に生まれ、青春とベトナム戦争の時代が重なる「ベトナム世代」。米国のかじ取りは初めて、戦後世代の指導者に託された。クリントン次期政権は、選挙での最大の争点だった国内経済の再建、国際競争力の強化などに取り組む一方、「冷戦後」世界の新しい秩序作りを目指すことになる。(一九九二年十一月四日、朝日新聞)]

自分と同じ年の男の経歴を知りたくて、別の面をめくった。

[クリントン氏経歴。正式名はウィリアム・ジェファーソン・クリントン。ウィリアムの略称ビルを使って、ビル・クリントンが通称。一九四六年八月十九日、アーカンソー州の小さな町ポープの生まれ。四十六歳。

ジョージタウン大学卒業後、英オックスフォード大学に留学。帰国後エール大法律大学院に学び弁護士に。七十六年、アーカンソー州司法長官に当選。七十八年、州知事に三十二歳で当選。早くから民主党のホープと目され、昨年十月、ブッシュ大統領の人気が続くなかで大統領選出馬を表明。予備選では、女性問題やベトナム兵役を逃れたとの疑惑を巡ってもたついたものの、七月の党大会では圧倒的多数で党候補に指名された。

エール大学時代に知り合ったヒラリー夫人(四五)は、子供たちの人権擁護活動で知られる弁護士。ふたりの間には一人娘チェルシーさん(一二)がいる。ジョギング、ゴルフが趣味]

趣味はジョギングだという。野村は自分との近さを感じた。

同時に同じ年の男がアメリカの大統領になる、その遠さを思った。

たまたま早く帰ってみた、ニュースフィルムの興奮はいつまでも野村の奥深くで燃え盛っていた。銀座広告社にでてからも誰とはなしに「昨日のニュースをみたか」と問いただした。室の連中は遅くまで残業をしていて、誰もニュースをみた様子がなかった。

「めずらしいですね。ノムさんがそんな早く帰ってニュースをみているなんて」と東山壮一郎は首をかしげた。「どこか体の調子でも悪いんじゃないですか。気をつけたほうがいいですよ」と渡部源次は真顔で心配し、「そんなに早く家にいるなんて、少し焼きが回ったんじゃないですか」とイッセイはいいながら太い腹をなでた。

誰も野村の興奮にのってこない。強運のもとに生まれた男たちの不思議な巡り合わせが与える衝撃。それは実際に映像をみていないと伝わりにくいものかもしれなかった。

「昨日、あのフィルムをみたんですって」

朝からスタジオに入っていた福田拓馬ふくだたくまが夕方帰ってくると、うれしそうに野村のところへやってきた。

「みんな、ぼやいていましたよ。ノムさんはすぐ熱くなっていけないと。朝から昨日のニュースをみたか、みたかと大騒ぎだと」

「で、拓馬はみたのかい、あのニュース」

「みましたよ。ちょっと驚きました。ノムさんじゃないけれど、みていないとあの興奮はわからないかもしれません。ああいう人間っているんですね。アメリカンドリームの申し子じゃないですか」

「すごいよ。うつらうつら寝てたのに、眠気もなにもぶっ飛んだ」

野村はただただケネディとクリントンの出会いの偶然に熱くなっていた。

だから拓馬が昨夜から考えていたことを思ってもいなかった。

「で、相談なんですがね。ちょっと面白いことを思いついたんです」

「なんだい、聞かせてくれよ」

「ちょっと危険ですよ。この話」

「拓馬、もったいぶらないでいってみろって。面白いことってなんだよ」

「いえね、あのふたりの握手のシーンを旭あさひフィルムのコマーシャルに使えないかと」

「ちょっと待った、今なんていった」

「だから、旭フィルムのコマーシャルに使えないかと。無茶ですかね」

野村は頭をがつんとなぐられたような衝撃を受けた。アメリカ大統領をコマーシャルに使おうだって。しかも旭フィルムのコマーシャルに。野村はあのニュースをみていながら、そんなことは考えてもみなかった。

結城制作局長から旭フィルムに自主提案をかけてみないかといわれたのは、ようやくエイズキャンペーンが始まったばかりの、ちょうど二週間ほど前のことだった。

記者クラブの要請で結城が、野村をエイズキャンペーンから表面上降ろして以来、ふたりは顔を一度も会わせていなかった。結城に届けるべき書類は室の若いものに頼んで、自分から結城の部屋へいくことは一度もなかった。廊下でばったりでくわさないように室の出入りにも気を使っていた。

「ノム、俺の部屋までちっょときてくれないか」

業務命令のことなど忘れたような明るい声で結城が気軽に電話をかけてきた。しぶしぶ重い腰をあげ、うっとうしい気分で野村は結城の部屋に入った。

「まあ、そこにかけてくれ」

結城が指差した席の隣には元村文男が大きな身体を窮屈そうにかがめて座っている。その横には両サイドを青々と刈り上げた角刈りの宮原孝司という若い男がいた。広告代理店の営業というよりも、やくざの若頭といった感じだ。

野村は元村とは何度か仕事をしたことがあった。物を売るにはどうすればいいのか、市場はどう動くのかをよく知っている、野村より少し年上のベテランの営業部長だった。

「コマーシャルなんて商品のイメージを増幅させたり、認識させる力しかないんだ。一度店頭まで人を連れてくれば、あとはもうお役御免。でもそこからが勝負なんだ。うまくないものをどううまく思わせるか。自分の飲んでいる物が、いま一番おしゃれだと思わせるには、ブームをしかけていくしかない」

野村たち制作者の前で平気で自論をぶつ。「あんたらがいなくったって、俺は物を売ってみせる」といって、店頭での販売促進キャンペーンを地道に展開している男だった。

元村の横でぶっちょうずらで、煙草を吸っている若い宮原とは仕事をしたことがなかった。

「あの角刈りが使い道あるんだ。得意先がなかなかものを決めてくれない時は、だから前に進まないと吠えさせる。あの風貌だろう。相手がうんざりして決断してくれる」といいながら、元村はうれしそうに続けた。

「株主総会の時期に、宮原がある得意先の受け付けを訪ねたんだ。そしたらなにもいわないのに別室に案内され、そっと封筒をだされたそうだ」

そんなふたりで二年ほど前に新紅茶飲料を大ヒットさせていた。

「なんだか取り調べ室か、やくざの手打ち式にきたみたいですね。で、今日はどんな業務命令ですか」

少し刺のある冗談をいいながら野村は座った。結城が顔色も変えずにいう。

「確かに。元村、宮原、そして野村。これだけそろうと尋常じゃない。この三人がそろってでかけて銀広に仕事をだそうという得意先があるのかな。元さんどこを攻める?」

元村はフィルム業界大手の旭フィルムを新しく攻めたいといった。

旭フィルムでは使い捨てフィルムカメラ《写写丸しゃしゃまる》を出していた。カメラをもたなくてもフィルムだけで写真が撮れる。その新商品は、技術革新が頂点に達し新製品のでなくなった社会に、久々の衝撃を与えた。それは写真に新しい価値観を作りだした。特別の日々を残すという写真の意味がいっきに変容した。写真とは気軽に日常を記録するものになってしまった。誰もが大切にしていたカメラをもたなくなった。そのかわり誰もアルバムに写真を一枚一枚ていねいに貼ることもなくなった。新商品がそれまでの価値をいっきに変革した久々の例といえる。

旭フイルムはコマーシャルに何万光年も向こうの悪魔の世界から、世紀末の地球にやってきたというふれこみのタレントを起用していた。その悪魔にも普通の家庭があって、パパと呼ばれるとついポーズをとってしまうという設定で、コマーシャルは日常の記録の気軽さを訴えていた。商品に特長があればそれを素直に訴えるだけで広告になるという参考例のような広告だった。

電通が制作する悪魔一家ののんびりした日常広告は長い間人気を博していた。好きな広告ベストテンの上位に毎年必ずランキングされ、ACC賞のグランプリや海外の広告賞を数多く獲っていた。

元村はその旭フィルムを攻めたいといってから「飯島のとっつぁんにも困ったもんだよ」とつぶやいた。

「飯島のとっつぁんがどうかしたの」と野村は聞き返した。

「ほら例の三位洗い直し作戦だよ。制作はいっさいやらず、ここのところずっと旭フィルムからは媒体を毎年十億円取り扱わせてもらっていた。効率のいい得意先だというのに、旭フィルムを攻めろというんだ」

本当に困りきったという顔で元村は答えた。

バブル期の反動としてどこの広告代理店もここ数年、前年度比売上ダウンを強いられてい。その中でも銀座広告社の鈍化が顕著だった。一昨年、昨年とかろうじて業界三位の座を死守したものの、東急エージェンシーに激しく追い上げられていた。今期は下期が始まって大型得意先の取りこぼしが目立ち、このままでは東急エージェンシーに三位の座を奪われかねない。

業界三位の座を確保するために、得意先で洗い直しができるところは徹底的に全部洗い直せという指令が営業統括本部長の飯島直人専務からでたのは、十月中旬のことだった。確かに媒体の扱いだけで十億円の売上を確保している、旭フィルムというのは元村にとって効率のいい得意先だったのだろう。しかしここ数年来扱いの数字がなんら変わらなかったということは、元村はどんな提案もせずにやってきたということになる。

媒体だけではなく、制作の可能性のあるところには、費用の用意をするから積極的に企画の自主提案をしろというのが、飯島専務の三位洗い直し作戦だった。統括本部は業界トップの旭フィルムをその対象として指定した。

「悪魔一家で絶好調の旭フィルムに自主提案をしても通用するとは思われないんだけどさ。飯島のとっつぁんの大号令となると従わざるをえないじゃないか。やってくれるかなノムさん」

こんなことなら売上十億円の得意先をもつのじゃなかったというような元村のものいいだった。制作をまったくあてにしていないような元村の態度に野村は少し腹をてた。

「制作局長としては飯島専務の指令に従わないわけにはいかないが、実は迷ってる。というのは相手が悪すぎる。あれだけヒットコマーシャルを立て続けに生んでいる旭フィルムだ。俺が担当したとしてもあのコマーシャルをしのぐ提案ができる自信はない」

断ってもいいのだという結城のものいいだった。

野村が答えをださずに黙っていると宮原がいった。

「なんとかやってもらえませんか。俺、旭フィルムの制作をとりたくて元さんに自主提案しよう、自主提案しようといい続けてきたんです。でもあんないいコマーシャルを作っている得意先に制作提案して赤っ恥かくのは嫌だというのが元さんの言い分で、なにもせずに媒体料が十億円以上転がりこむんだからいいだろうとずっといわれてきたんです。だからぼくとしてはやっと自主提案できると、うれしくてしょうがない。お願いします。一緒にぶつかってもらえませんか」

「どうだ。こんな話なんだけども、旭フィルムを攻めてみる気はあるか」

結城がとりあえずはやってみるかとうようにたずねた。

普通なら元村の態度に腹をたてて、下りるというところだ。しかし相手は元村ではない。広告業界で、数々の賞をとり、ヒットコマーシャルを生み続けている旭フィルムが相手だった。業界トップクラスといわれる得意先のレベルに自分の感性が通用するかを、この際どうしても知っておきたかった。ここを通り抜ければ業界でもっと違うことがやれる自信にもなるだろう。ぶつかってみたかった。そのためには飯島専務の大号令はありがたい。経費削減のおり費用を用意してまでの大々的な自主提案の機会などなかなかない。これを逃したら旭フィルムを相手にできる機会はもうこないだろう。野村は三人にいった。

「果たしてどんな企画がだせるかわからないけれど、相手が悪魔一家となれば下りるわけには、いかんでしょう。なんとかやってみます」

結城の部屋をでると廊下を走るように歩いた。室に駆け込むと大きな声でいった。

「おい、旭フィルムを攻めるぞ。《写写丸》とは百八十度違う提案をしよう。全員で特別チームを組む。企画をだしたものがこの仕事のチーフプロデューサーだ」

室にいた人間の顔が輝いた。

村田喜一が「いいですね。やりましょうよ。こんなチャンス二度とない」といった。

いままで村田の口からそんなこを聞いたことがなかっただけに、野村はその変化に驚いた。

福田拓馬が「大きい魚じゃないですか。エイズの時には海外にいっていて逃がしたので今度はどこにもいかずしっかり釣り上げますよ」といった。

「じゃ釣り上げた魚と一緒に電通の前で、銀広のスタッフが記念写真を撮っているという企画はどうです」と岩倉一成いわくらかずなりがちゃちゃを入れる。

「イッセイ、それがお前の企画の限界だろう。こんどの企画は俺がいただくよ」と渡部源次わたなべげんじがいう。

「源次、あんたはエイズでおいしいとこ全部とったんだから今度はお休みしてもらわないと」と源次と同期の堤弘之がライバル意識を剥き出しに唇を尖らせる。

「堤ちゃんこそ、来年の口紅のアートディレクションやったばかりじゃないか、今回は企画をだしちゃだめ。俺が絶対やるよ」と同じデザイナーの大石克也が牽制した。

室の気持が一度に熱くなっていく。

しかし、威勢のいい啖呵をきってみたものの、なかなかいい企画は誰の中からもでてこなかった。《写写丸》に近い表現では自主提案として聞いてもらえそうになかった。企画会議を何回開いても、焼き付けプリントの回数を増やすキャンペーンだとか、子供に写真を撮らさせるための道具の開発とか、有名人の写真展とか地味な企画が上がってくるばかりだった。《写写丸》の対極にある品質広告、企業広告を考えようとしてもいいアイデアはでなかった。元村にこれじゃ恥をかくだけだとだけはいわれたくなかった。成果のないまま十日以上がたっていた。

その旭フィルムの広告に二人の握手の写真を使おうと拓馬がいいだしたのだ。

「クリントンはあの日の写真を何度もみながら政治家をめざしたと思うんです。大統領を生んだ写真の力。そんな企業広告が作れないかと思ったんです。無茶ですかね」

野村は拓馬の思考の跳躍力に驚いた。まいったと思いながら野村はいった。

「拓馬は大馬鹿野郎だよ。これからなろうというアメリカ大統領をコマーシャルに使おうだって。そんな非常識なことを考えるのは大馬鹿野郎だよ」

「やっぱり無理ですかね。非常識すぎますかね」

拓馬は童顔の顔を曇らせながら、いかにも残念という表情になった。

「非常識だよ。非常識にもほどがある。でもよ拓馬、その非常識がめちゃくちゃいい。凄い。俺はやられたよ。それでいこう。企画を前へ進めよう」

拓馬の幼い顔がこぼれるような笑顔に変わった。アメリカ大統領のコマーシャルが実現したら、こいつはどんな顔で笑い崩れるのだろうか。その笑顔をみてみたかった。

しかし、野村は動揺していた。とうとう野村の足元からこんな大胆なことを考える男がでてきた。野村は混乱していた。頭を整理したかった。

「ちょっとジョギングにいってくる」そういうと五時を回ったばかりというのに、もうすっかり暗くなった銀座の街にかけだした。京橋から鍛冶橋通りを馬場先門のほうに上がる。馬場先門を渡ると皇居を竹橋のほうに走り出した。

「どうしてなんだよ。なぜ同じ映像をみながら、これをコマーシャルにしてみようと考えつかなかったんだよ。大馬鹿野郎だぜ」

「拓馬に負けてどうする。野村、お前は企画屋としてこれからもやっていけるのか」

「公人に肖像権がないということは百も承知のお前が、なぜ気がつかないんだ。錆ついたのか。腐ったのか。感性がもう鈍ったのか」

野村は自分を責めるように竹橋から北の丸公園に向かう急坂にさしかかるとスピードを一段と上げた。肉体がきしんだ。悔しさがあえぎとなってこぼれた。どうすればいいのだろう。拓馬の思いつきのような発想を早く形にしてしまうことだ。拓馬が完璧な企画にまとめる前に、コマーシャルとしての形態を整えることだ。

ケネディとクリントン。このふたりの握手をした写真が残っていた。そのことを旭フィルムの企業広告としてどう定着するか。野村、それができればまだお前は拓馬より錆てはいない。それを考えるのだ。

野村は半蔵門の下りにさしかかりながらコピーを考えた。でも拓馬に先を越されたという思いで、思考が混乱しよくまとまらない。野村は半蔵門から桜田門への急坂をかけ下りた。冬の準備を終えた冷たい外堀の風が吹き付けてくる。この風に負けないことだ。向かい風に思考が歪む。ぼんやりと三十秒の世界が浮かぶ。野村は半蔵門の下り坂を全速力で駆け下りながら、頭のなかでその断片をコピーにまとめていった。それが野村のいつもの解決方法だった。

身体を前に動かすことは、思考を前に動かすことに直結する。走りのなかで考えた結論はいつも果敢で積極的なものになる。野村は数多くの広告をそうやって作ってきた。桜田門にかかると問題の解決が少しみえた気がした。

馬場先門から再び京橋の方に向かう。湿度の少ない冷気で夜が深くなったのだろうか。銀座広告社のネオンが明るく瞬いていた。六階にある自分の室まで、野村はそのまま階段をかけ登った。席に座ると、走りながら考えたコピーを、マッキントッシュに叩きつけるように打ち続けた。冬の夜だというのに、液晶画面に野村の汗が落ちる。汗でその画面が滲んだ。野村は打ち上げたコピーをプリントアウトすると拓馬を呼んだ。差し出した原稿を拓馬は食い入るように読んだ。

[残すもの、残るもの。

一枚の写真が残っていた。

一九六三年。あの人が凶弾に倒れる年の夏、十六歳の彼はあの人と握手した。

握手しながら、ムービーカメラが回るのを、フラッシュが焚かれるのを感じていた。

その一枚の写真が彼の進むべき道になった。

その一枚の写真が彼のエネルギーになった。

一九九三年一月。第四十二代アメリカ大統領誕生。

残すもの、残るもの。

一枚の写真の力を信じたい]

自分の書いた原稿を人が読んでいる間、横にいるのはいくつになっても、どうも気恥ずかしい。

机の上に毎日新聞の夕刊が届いていた。手持ちぶさたなのでなにげなく広げてみる。うわさのCMという欄にエイズキャンペーンのことが取り上げられていた。拓馬が原稿を読んでいる間、そのコラムを読んだ。野村は好意的な新聞論評と、新しい仕事の方向がみえてきたことに気をよくした。走り終わった体が柔らかく心地好かった。

野村の原稿を読み終わった拓馬が目を輝かせながらいった。

「完璧に旭フィルムの広告になっているじゃないですか。まいったな。思いつきじゃだめだから、そのうち原稿を書かなければと思っている間に、ちょっと走りにいったと安心してれば、もう書き上げているんだもの。

でも、ノムさん、これなかなかうまくまとまっていますね。大統領を使いながら、旭フィルムを推奨することにもなっていない。それでいてクリントンを誹謗もしていない。公人の肖像権を黙って使ってもどこからも文句のこない形になっている」

人のいい拓馬は野村の書いた原稿をしきりに誉めた。

こういう男がいるから俺はなんとか広告業界で生き延びられる。人を誉めるより前に自分が原稿を書き上げれば、この仕事は拓馬のすべてオリジナルになったのだ。拓馬が思いつきだけで留めておいてくれたおかげで、この仕事は野村と拓馬の共同企画になった。原稿を読みながらただただ感心する拓馬の幼い横顔に野村はいった。

「今晩は有楽町のガード下で飲み放題食べ放題だ。そのあとはイレーヌのカウンターで俺がスペシャルサービスだ。すごいアイデアを捻りだした拓馬のお祝いだ」

ガード下はサラリーマンたちであいかわらず込んでいた。拓馬が野村の肘を突いた。拓馬に促されて男たちがしゃべるのを聞いてみるとそれは昨夜のクリントンとケネディの握手についてだった。ふたりの不思議な運命の巡り合わせ、クリントンという男の強運を男たちはしきりにしやべっていた。クリントンという男にまったく関心がなかったが、昨夜で一度にファンになったといって、いかにケネディに憧れたかを話す男がいた。ちらっと後ろをみるとその男はほぼ野村と同年齢だった。いいよな、あんな絵をみると、こんなに落ち込んでしまった俺たちもなんとかなると、勇気がわいてくる。俺たち世代はまだまだ老いぼれていないんだといって、男はビールを追加した。

この企画がうまく実現できればきっと多くの注目を集めるだろう。男たちの生きる根源に関わる広告が作れるだろう。有楽町のガード下のサラリーマンたちの会話を聞きながら、野村は確信した。

ガード下の煙から逃れるとふたりは高揚した気分で銀座通りを歩いた。冬の冷たい冷気に銀座のネオンはその輝きをさらに深くしていた。

銀座通りを歩くと野村はいつもニューヨークの雑踏を思った。巨大な都市だけが持っている大きくて深い魔力。その都市の光はどこも猥雑で、欲望に満ち満ちていたが、たった一人でその魔力に立ち向かわざるをえない、強さと知性を感じさせた。

今年もニューヨークにいけるのだろうか。

ここ九年、仕事でニューヨークにいき続けてきた。いや、ニューヨークにいきたいために、ニューヨークの企画を必ずだし続けてきたといっても過言ではない。

ニューヨークを想って企画を書くと、ニューヨークは毎年野村を呼んでくれた。それがその年は十一月になったというのにニューヨークにいく機会は一度もなかった。

クリントンとケネディの企画をなんとしても通すのだ。そうすれば十年連続というニューヨークの記録は達成される。

冬の冷たさに震えるアメリカンブルーの夜空をみたい。ニューヨークの瞬きをみたい。野村は銀座通りからイレーヌに向かう細いけもの道を複雑に曲がりながら拓馬にいった。

「なあ、拓馬。この企画はあのふたりが握手している写真があるかどうかだ。フィルムの握手のシーンをストップモーションをかけて、写真のようにみせることもできる。しかし、このノンフィクションのコマーシャルはそんな嘘をついてはだめになってしまう。旭フィルムは嘘を語ってふたりの大統領を広告に使ったといって、アメリカで不買運動がおこらないとも限らない。この企画は本当にふたりが握手している写真がみつかるかどうかだ。そうすれば、俺たちは今年もニューヨークにいける。銀座のネオンではなく、ブロードウェイのネオンをみることができる。

拓馬、なんとしても写真をみつけような。今晩は拓馬のアイデアに乾杯して、ニューヨーク行きの前祝いだ。おもいきり飲もう」

ふたりはイレーヌの重いドアを開いた。

「ねえ、ちょっと早くカウンターのなかに入って。今日は口開けからどうしたことか、お客さんで大変なのよ。テンテコ舞いなんだから。じゃんじゃん稼ぐわよ。はーい、おまたせしました、当店のバーテンダーの到着ですよ」

野村は智子ママに急かされてカウンターのなかに入った。客の注文を聞き、グラスを洗い、氷を砕いた。氷は指に痛いほど冷たかった。冷たさに躊躇したところに、アイスピックの先が落ちてきた。右手の中指から血が滴り落ちる。冷たさと痛さをこらえる。

写真は二度とでてこないのではないだろうか。野村の心にふと不安がよぎった。

<< back next >>
  
▲ ページトップへ