ようこそ「一人広告代理店」馬場コラボレーションへ

小説

講談社刊 1997年
銀座広告社第一制作室

第3章 小津の徳利

四月になってもいつまでも寒さが続いた。例年だと三月の末には開く桜もまだほころんでいなかった。

「ノム、ちょっと俺の部屋まできてくれないか」

結城から野村に電話があったのはそんな底冷えがいつまでも続く春の遅い午後だった。

結城の部屋に入っていくと営業の熱田俊紀あつたとしのりがソファに座っていた。熱田とは一度も仕事をしたことがなかった。

青白い端正な顔が少しこわ張っている。神経質そうに何度も目をしばたいた。

「まあ座れ、おもしろくなってきたぞ」

うれしそうに結城がいいながら、顎で野村の座る位置を指定した。座り込んだ野村をにらみつけるようにすると、熱田は意を決したように話しだした。

「お話があります。野村さん、僕の知らないところでいったい何をしてくれたんです。JR東京の宣伝事業部長が銀広に野村というやくざがいるだろう、そいつを連れてこいといっているのですが」

ようやく野村は熱田がJR東京の担当営業であることに気づく。

そうかあの時の仕掛けがいまになって効いてきたかと野村は思わず笑みを浮かべた。

「冗談じゃないですよ。笑いごとじゃすまされません。営業の僕をさしおいていったいどこで、何をしでかしてくれたんです」

きつい口調で熱田は野村にいった。半分本当に怒っている熱田をみて、結城があわてていった。

「おいおい、熱っちゃん、そんなに怒るな、怒るな。相手はノムやんを連れてこいといっているのだろう。いけばいいじゃないか。仕事をくれるよ、絶対に」

「お言葉ですが結城局長、なにが仕事をくれるですか」

熱田は怒りを鎮めきれないという感じで慇懃にいった。

「野村さんが始末書でも書かされたらどうなるんです、銀広の恥です。僕の知らないところで事件がおきて、僕の得意先がなくなるのじゃたまりません。僕は営業局を代表して制作局に正式に抗議します」

それを聞いて結城が大笑いしだした。

「おいおい若いのに始末書だの、正式な抗議だの肩肘はるのはやめろ。急いでノムやんを連れてJR東京にいくのだな。これはきっといい話だよ」

「冗談じゃない局長までなんですか。どこがいい話なんですか」

「ノムやんはどう思う。いい話だと思うか、熱っちゃんが心配するように悪い話だと思うかい」

JR東京の宣伝事業部長と会ったのはどのぐらい前のことになるのだろう。あれは暑い夏のパーティーだった。確か去年の七月も終わりの頃だろうか。

野村は頭の中でいまから何ケ月前のことだったろうと計算しながらいった。

「へえ、八ケ月も前のことが今ごろになって効いてくるとは驚きました。いいとか悪いよりも、面白い話なんじゃないですか。これでまた電通と戦争ができるわけだから」

「なにが電通との戦争なんですか。得意先をなくしたらどうするのです」

熱田はヒステリックに叫んだ。

熱田をからかうのはこれくらいにしようという顔で、結城がにやにやしながらいった。

「ノムやん、これがどんなに面白い話かそろそろ詳しく教えてやれよ」

「うん、熱田君には直接関係ないと思って話していなかったのだけれど、俺とユーさんで八ケ月ほど前にJR東京の宣伝事業部長とは、ちょっとしたパーティーであったことがあるんだ。もともとの話はもっとさかのぼって、一年前の今ごろのことになるんだけれどね」

「ノム、ちょっと俺の部屋まできてくれないか」

結城から野村に電話があったのは三月も、もう終わろうとしている頃だった。

九二年度の期末の制作費の締切りで、伝票の整理に追われていた野村は、電話があってからも、なかなか結城の部屋にいくことができなかった。

「おい、やっていることはそのままでいいから、早く俺の部屋まできてくれ」

結城の催促の電話で、サインをすべき伝票を手に丸めながら持つと、野村はあわてて立ち上がった。

「おめでとう。今年のクリエイター・オブ・ザ・イャーの特別賞は銀座広告社のクリエイティブ・ディレクター、野村憲一君に内定したよ。

対象作品はエイズキャンペーンとクリントンのキャンペーンだ」

クリエイター・オブ・ザ・イャーというのは、広告代理店のクリエイティブ・ディレクターのみを対象にした、広告表現というよりは、広告キャンペーンの斬新さに対して贈られる賞だった。

一回目の一九九十年には電通のクリエィティブ・ディレクター三浦武彦のJR東海の「日本を休もう」キャンペーンに。第二回は電通の佐藤雅彦の「バザールでゴザール」、小泉今日子を起用したJRの「もっと、もっと」や、湖池屋のポテトチップスなど、十五秒コマーシャルの表現形態を変えたといわれる一連に。第三回は大阪電通のディレクターでキンチョーのナンセンスコマーシャルを築き上げた石井達矢に贈られていた。

自分にもらえる賞と一度も考えたことのなかった野村は戸惑いながらいった。

「まさか。だってエイズはユーさんの業務命令で僕が降ろされて、クリエイティブ・ディレクターは、ユーさんと村っちゃんのふたりになっているじゃないですか。審査対象者に僕がなれるわけがない」

野村はユーさんの業務命令で、というところを、少し嫌味な感じでいった。

いつまでたっても制作者の痛みというのは消えることがない。

「あれは記者クラブの抗議をなんとか切り抜けて、世の中で初めてのエイズキャンペーンを成功させることが、まず第一義なことだったので、銀広としてはやむをえずだした業務命令だった。すまん、悔しい思いをさせてしまって」

結城はさぞ悔しかったろうなという表情で、野村に謝る。

「いや実はな、あれがずっと気になっていた。あのキャンペーンをノムがしたという事実を制作局長としてなんとか残せないかと、 考えていた。もう時間もたったことだし、クリントンの作品と揃えると、他社の候補者と遜色がないだろうと、俺がノムやんに黙って、ノムやんの室の連中を使って、応募させていた。どうせお前のことだ、事前にいえば、エイズキャンペーンのクリエイティブ・ディレクターは俺じゃないといい張って、頑固に応募を拒否するだろうと思ってな」

「確かに事前に知らされていたら、応募は絶対嫌だといって断っていたでしょうね。ちきしょう、あいつら黙っていやがって、室に帰ったらただじゃすまない」

野村は手に丸めていた伝票を応接机にぽんぽんと叩いた。

「そう怒らずに、なあノム、黙ってこの賞は受けてくれ」

そういうと結城はもう一度頭を下げた。クリントンの時のワシントン出張と同様な、結城新一郎の暖かい心配りが、野村にはありがたかった。

これは素直に受けるべきなのだ。

「制作の仕事というのはたった一人ではなにもできない。それは僕が一番よくわかっています。いつもいろんなことを無理矢理いって、みんなをここまで引っ張ってきた。

この賞はうちの室の連中みんなが、がんばった結果の賞でしょう。俺のむちゃくちゃな論理と思い入れに振り回わされながら、ここまでついてきてくれた二十人のためにも、俺が代表で受けさせてもらいます。ところで、ユーさん今年のグランプリは誰です」

「電通の大島征夫に決まったよ」

エイズキャンペーンの時に、太地喜和子が突然亡くなり、弱り切っていた野村に、二十人目の参加者として、南野陽子を紹介してくれた大島だった。あの時は見知らぬ広告代理店のクリエイティブ・ディレクターの申し入れが、どんなに救いになったものだろう。再びの偶然の出会いに驚きながら、野村はまた斜に構えたもののいいかたをしてしまう。

「しかし、この賞は広告代理店のディレクターに与えられる賞なんでしょう。おこまがしいいい方だけれど、僕自身でいえばエイズというのは広告に危機管理の手法を持ち込んだと思っているんです。それが《その先の日本へ》というただの旅情の表現に、負けてしまったというわけですか。ちょっと納得いかないですね。広告と社会の関わりがもっと評価されべきだと思うんですが」

「おい、それは言わぬが華だ。クリエイター・オブ・ザ・イャーというのはほとんど電通の主催と考えたほうがいいので、そこに特別賞でも潜り込めただけめっけものだ」

正式の発表と記念の講演会がヤクルトホールであったのはその年の七月になってからだった。そしてその年のグランプリと特別賞の受賞者を囲んだ記念パーティーがその三日後に開かれた。

それは確かに結城のいうとおり、グランプリの電通の大島征夫を中心とする会で、来賓として彼の得意先のトヨタ自動車の宣伝部長や、JR東京の宣伝事業部長が顔をみせていた。三百人近い出席者のほとんどが電通の関係者で埋まる。特別賞の博報堂の宮崎晋もパーティー会場ではぼんやりしていた。室員全員と来ていた野村は水割りのグラスをちびりちびりやりながら、結城の耳元で囁いた。

「まいりましたね。これじゃ僕ら特別賞はいってみれば刺身のつま、パーティー会場の華ならぬドクダミですね。頭へきたから一泡ふかせてやろうかな」

「まあ落ち着け。これが日本の広告業界の縮図というものだ。このパーティも彼らの営業の場でしかない。ほらほら来賓の挨拶が始まるからみていろ、彼らの得意先が次々に壇上にあがるから」

トヨタの宣伝部長が祝辞を述べ、サントリーの宣伝部長がしゃべり、最後にJR東京の宣伝事業部長がトリをとった。

「ええ、本日は大島さん大変おめでとうございます。私はこの三年間大島さんにお願いをして《その先の日本へ》という大変旅情溢れる広告を作ってきてもらいました。井上陽水の唄、東京から旅立つ先の駅長の姿。四季折々の風景。まだ日本にこんな風景があったのかと思わせるくらい、そのひとつひとつの映像は質の高いものでした。その広告の素晴らしさは私が述べる前に、本日の賞のグランプリだけではなく、日本の各種の広告の賞を総なめにしていることでも明かです。しかし私が感心するのは大島さんの制作者としての優秀性ではありません。この仕事を通して私が一番驚きこういう広告人がいたのかと感心しましたのは、大島さんは優秀な制作者である前に、大変優秀な営業マンであるということです。制作の表現をいう前に、こんな広告を作るべきだと次々にさまざまな提案を受けてまいりました。気がつくといつのまにか大島さんの提案に対して私どもが仕事を発注してしまっているというのが現実でして、はっきり申し上げてこの優秀な営業マンに私共はしっかりと売上を伸ばされてしまったというのが本当の実感でございます。本日は大変おめでとうございました。これからもますます優秀な営業マンでありますことを祈念し、お祝いのご挨拶に変えさせていただきます」

来賓の得意先の挨拶が全部すんだところで、それまでしんとして聞き入っていた、来場者が急にざわつき始めた。

結城が野村の耳元に小さな声でいった。

「おいこのあとやってくるスピーチで間違っても喧嘩を売るなよ。周りは全部電通なんだ。喧嘩を売っても誰も助けてくれないぞ」結城は水割りグラスをぐいとあおった。

グランプリの大島に続いて、博報堂の宮崎と挨拶が続くころには、パーティー会場のあちらこちらで声高な話し声や笑い声が起きていた。そんななかで司会者が野村に挨拶をするようにいった。この会場をなんとか静かにさせたいと思いながら野村は壇上に上がった。

「私はクリエイティブ・ディレクターとは、つきるところやくざの組長なんではないかと日頃考えています」

そう野村が切り出し、間をおくと、ざわついていた会場が静かになった。

「広告の表現はどんなルールもなく、誰がなにを考えようと自由です。しかしその自由さゆえに正解がない。なにが正解かといえば得意先にその企画が売れたかどうかだけ。いろいろなアイデアの中からこれでいこうと決める。この決断こそクリエイティブ・ディレクターの仕事だと考えいてます。ここがクリエイティブ・ディレクターがやくざの組長たる所以のところです。あの組に喧嘩を売れ、そのためには鉄砲玉になって死ねと、なんでも命令できます。しかし売った喧嘩には勝たねばならないという組長の宿命がついてくる。売った喧嘩に破れたとき組長が若頭に組を譲る潔さこそやくざの世界の本質です。この企画で得意先を攻めようという組長、クリエイティブ・ディレクターの決断。この決断が三度間違え、得意先に売れなかったとき、私は軍門にくだるといい続けてきました。私は室員といわれる組員二十名と、私の決断に対して鉄砲玉のように駆けだしてくれるプロダクションの人々、企画演出家など外部の準構成員三十人からなる五十人ばかりのちっぽけな野村組を運営しているやくざの組長に過ぎません」

会場の隅々で笑い声がおきる。人々が耳を傾けはじめた。

「まさにこの広告業界というのはやくざの組織図そのままだといえます。日本で最大の勢力をもつ関西系暴力団が電通。そしてその勢力に拮抗する暴力団が博報堂。これが毎日きったはったをやっている。その傘下には大島組があったり、宮崎組がある。まあ、この暴力団抗争、電博を中心に一大抗争をしている。その間に仁義なき闘いで金子信男演じるところの親分があっちつついたり、こっちちょっかいだしたりする。それが東急エージェンシーであり銀広なわけです。本日の賞はそんなちっちゃな金子親分傘下の広能組にあたる野村組の全員に、よく電博の戦争の間隙をぬって闘ったとお誉めをいただいたものと信じ、組員を代表して組長が壇上にあがらせてもらったと思っています」

電博一大抗争というところで、拍手が沸きおこる。ここは勝負どころだ。

「やくざが法治国家日本で生きていくために法人の組織を作り、恐喝までをまっとうなビジネスとしてしっかり正当化しておりますように、私共組長というのは、制作やくざの本質の顔を隠し、さまざまな営業マンの顔で広告ビジネスをさせてもらっております。さきほどどなたかから、大島さんは大変優秀な営業マンだというお話がございました。私は大島組の旅情という覚醒剤だけが商品ではないはずなのにと聞いておりました。おそらく先ほど大島組組長に賛辞を述べられたかたは、大島組長の手玉にのって、次から次とお仕事を発注してしまったのではないかと考えております。確かに組同士の貸し借りという仁義もあります。私もエイズキャンペーンの時には大島組の組長から暖かい仁義を頂いたのも事実です。その仁義は仁義として、ここではっきりいわせていただければ、大島組の他に、もっともっといい商品も、世の中にはあるとお考え頂き、他の組とおつきあいいただくのも、いいのではないかと思っております」

会場はいつか爆笑の渦に包まれた。

野村が壇上をおり、結城の側にいくと、にやにや笑いながら結城がいう。

「なかなか挑発をするじゃないか。大受けのスピーチだったよ。

これでJR東京あたりから声がかかったらおもしろくなる」

あのパーティーの日から、もう八ケ月の月日が流れていた。

話を聞き終えてた熱田は、ほっとした顔をしながらいう。

「じゃ、野村というやくざを連れてこいというのは、仕事をなにかやってみろということなんですかね」

「そういうことだろう、すぐにでもノムやんとふたりでJR東京に乗り込むのだな。おもしろくなってきたぞ」

結城は楽しそうににやにや笑った。

宣伝事業本部という看板のある古いがっしりしたドアを開けると、部屋の一番奥にある大きな肘掛け椅子の男が顔をあげた。パーティー会場で話をしていた、恰幅のいい紳士がきさくに手招きをした。

「やあ、この前のスピーチはなかなかおもしろかった。あなたの挑発に乗ってみることにしましたよ。どんな別のビジネスで、世間をうならせてくれるか、楽しみにしています。詳しくは広報課長の方から話を聞いてください」

挑発はしてみたものの広報課長から与えられた課題はなかなか難しいものだった。

「国鉄が民営化してそれぞれがJRになったわけですが、各JRごとに、それぞれ事業形態がちがうわけです。われわれ首都圏を事業分野とするJR東京では、通勤されるお客様の、安全と快適性というテーマが永遠の課題になっています。従って満員電車や、ちょっとした時間の遅れが、お客様の苦情になってきます。お客様の共感をえる、通勤をテーマにした、コマーシャルを作りたいと常々思っていまして、今回はぜひ銀広の野村さんにもアイデアを考えてもらうようにというのが、うちの宣伝事業部長のリクエストでして。よろしくお願いします」

新宿にあるJR東京の本社玄関をでると熱田がいった。

「ノムさん、とんでもない難しい宿題もらっちゃいましたね。どうします」

「どうもこうもない、売った喧嘩をしっかり買われた。こっちもしっかり企画で返すしかない」

「でも、成算あります?通勤なんてテーマで広告が作れるもんですかね。弱っちゃいましたね。ノムさんが喧嘩売った以上、おめおめ引き下がるわけにもいきませんしね」

気の弱そうな熱田は提案のチャンスが増えたことを喜ぶ前に、突然ふって沸いた競合の機会にただ戸惑っていた。

確かに難しいテーマだった。通勤をテーマに安全性と快適性を語られるだろうか。慢性の通勤ラッシュの前できれいごとの広告は逆に反発がでそうだった。

JR東京から呼ばれた翌日に結城が野村の室に珍しくやってきた。なかなか用件をきりださない。といって仕事の話をするわけでなく、最近の映画の話をする。野村がジェーン・カンピオン監督の《ピアノ・レッスン》がいいというのに対し、結城がそこが若いといいながら、ジェームス・アイボリー監督の《日の名残》はもっと評価されるべきだといってゆずらない。

「ようはユーさんの評価という奴は、アンソニー・ホプキンスが想って、想って、想いぬいてもエマ・トンプソンと決して寝ない一点にあるんでしょう。確かに《ピアノ・レッスン》の弱さは同じ想いなのに、ホーリー・ハンターとハーベイ・カイテルのその想いがセックスという点では達成されてしまう。そこの好き嫌いというのはあるでしょうね」

「おいおい、ちょっと待て、ノム、いいか寝て気持ち良かったというのは、誰でも描ける。寝ないで気持ち良かったという美意識というか、ふたりを寝かせないのだという意思で作家が映画を作るかどうかが重要なんだ。ノムみたいにまだまだ、そこらのおねぇちゃんとなんとかなりたいと思っている間はどうしても寝た映画に点が甘くなる。若さは未熟だというがほんとうにそうだ」

「小津安二郎の美意識ですね。確かに小津は親子を描いていてもほとんどセックスに近い想いがありますもんね」

「そうかノムやんもやっと小津のよさがわかる歳になったか。しかし小津というのは」

結城が直接野村の室にやってきた用事も忘れて、日頃の小津安二郎論をぶとうとする。野村は話が長くなるのを防ぐために、で、どんな用件でという顔をした。「小津というのは」と切り出した結城はその言葉を飲み込むようにしていった。

「で、どうだい。JR東京のみ通しはついたか。なんとかなりそうか」

やはり結城の心配はJR東京だった。いいにくそうに付け加えた。

「いや、ノムのやり方にとやかくいうつもりはないのだが、パーティーの席に俺もいたのでいきがかり上、心配になってな。電博でんぱくを攻める最高の機会だしさ」

「ユーさん、そうプレッシャーかけないでくださいよ」

「プレッシャーをかけているわけではない。ただこの窮地をどう抜け出すのかと思ってさ」

「僕は窮地とは考えていないのです。この仕事を室の活性化に使おうと思いましてね。オープンコンペにしました」

「オープンコンペ」

結城は納得がいかないという表情でそう口にだしていった。

「室の全員に企画の提出を義務づけたのです。ひとり三点。二十人で六十点の企画がいっぺんに集まります。それを会社中の全年令層の男女百人に読んでもらって、採点をしてもらおう。そうそうユーさんにも採点をお願いしようと思っているのでよろしく。で、百人の人が選んだベストファイブを得意先に提出するんです。こういうのは僕の目で片寄って企画を作っていくより、平均化した人の目を通したほうが絶対よくなると思いましてね」

結城は感心したようにうなづきながらいった。

「なかなかいいアイデアだ」

そういうと今度は真剣な顔でいった。

「で、ノムは怖くないのか。オープンコンペにして、自分の企画が通らなかったらとは考えなかったのか」

「怖くはないですよ。通らなかったら室長を辞めればいい。僕よりいい企画をだせる奴が制作では室長なんですから。いままでも追い込まれたらどたんばでアイデアがみつかってきました。今回は僕自身を追い込んで追い込んで追い込んで初めて企画がみえてくると思ったんです。なに、結局、室員二十人のエネルギーを吸収して、なんとか企画を形にしようとしているのがぼくなんです。東京物語の原節子ではないですが、わたしずるいんです。とてもずるいんです。というところではないですか」

原節子が尾道の家から東京に帰るという朝、八年もたつと戦争で死んだ夫昌二のことを思わず過ごす日があるといって、義父の笠智衆に「わたしずるいんです」といって謝る、せりふを原節子のものまねでいった。そのものまねに大笑いしながら結城はいった。

「室の連中はどうなんだい」

「張り切っていますよ。室長を蹴落とすチャンスだといって。これで自分の描いた企画が通れば、得意先はなんといってもJR東京だし、相手は電通の大島征夫でしょう。みんな目の色変えています。きっとそれがいい結果になると思うのですが」

「もう一度聞くが、ノムやん、これだけの大きなプロジェクト、オープンコンペにしてお前怖くないのか。もし他人の企画で決まると室長としては塩梅悪いと考えないのか」

野村は結城の制作者としての違いの原点をみたような気がした。結城の質問に野村は少しむきになりながらいった。

「ユーさんのような古いタイプの制作者には大将である自分の企画が通らなかったらどうしようという不安があるのでしょうが、僕らはみんながいきいきと企画に集中するにはどうすればいいかを考えています。確かに室員全員が出した企画の中で室長の企画が通らなかったら調子悪いでしょうが、その時また考えればいいでしょう。それよりそういうふうにして、みんなが必死になることの方がいい企画をきっと産み出すと思う」

「そうか。いい企画がでて、得意先に通るといいのだがな」といいながら結城はようやく腰を上げた。その背に野村は追いかけるようにいった。

「百人の審査員のひとりお願いしますよ」

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