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小説

小説現代 1998年3月号掲載
黒澤のジャンパー

一枚のジャンパーがある。

黒いサテン地の背中に大きく白地でKUROSAWA FILM STUDIO YOKOHAMA という文字がデザインされている。

左胸には赤い刺繍で同じ文字を縫い込んだワッペン。そして黒いボタン。簡素なデザインだが、骨太な映画を創ってきた 黒澤明にふさわしい、ジャンパーだ。

黒澤フィルムスタジオは俺たちフィルムプロダクションのプロデューサーにとっては便利なスタジオだ。

日本の規格からはるかに離れた巨大な面積は大きなセットを組む時に重宝した。世界最新鋭の撮影機材を揃えていたので、 曇り空のオープンロケには黒澤の照明機材が不可欠だった。映画で鍛えられた優秀なスタッフを起用できるのも利点だ。 しかし大きな難点もあった。スタジオの使用料も機材レンタル料も桁外れに高い。

このスタジオを使い続けて五年目に、右腕のところにシンゴ・オオカワと英字で綴られた、俺だけの黒澤のジャンパーを プレゼントされた。

「こんなサービスより、スタジオ代をもっと安くして欲しいのに」

スタジオの幹部にそんな悪態をつきながらも、うれしかった。

《椿三十郎》、《用心棒》と俺は中学の時からの黒澤ファンだった。高校に入ると《天国と地獄》、《赤ひげ》に圧倒さ れた。この人の一番力がみなぎっている時期に観客として暗やみの中にいることに感謝した。いつかは俺も映画を創りた い。江古田にある大学の映画学科を受けたのも、この人がいたからだ。しかし卒業の頃には黒澤も衰退し、日本の映画は 完全に斜陽の時代に入っていた。新卒者を採用する映画会社はどこにもなかった。学園闘争でなにもすることのない江古 田の四年間。俺はテレビ局のアシスタントディレクターのアルバイトで大学四年のほとんどを過ごした。映画が駄目なら 放送作家かディレクターになりテレビメディアの世界で働きたいと願った。テレビ番組を作るところと信じて受けたフィ ルムプロダクションが、コマーシャルを作る制作会社を意味すると知ったのは採用が決まってからだった。

初めてのロスの街で、車の走りを無許可で撮影する間、体を張って街を走るほかの車を止める。黒人になぐられながらも 歩道の人止めをする。ある日は生理用品の吸収力を証明するために、ブルーのインクを溶かした水を少しずつポンプで吸 収帯に落とし続ける。次の日にはアイスクリームが溶けないよう、夏だというのに足の先の凍傷に脅えながら、冷蔵庫の ような倉庫でアイスクリームのスプーンを、ワンカット毎にていねいに拭く。毎日、違う商品と出会い、毎日違う作業を することが俺には楽しかった。制作進行というなんでも屋の坊やの七年間の時代はあっというまに終わった。

会社は企画演出の道に進むか、プロデューサー稼業を選ぶかの選択を俺に迫った。

俺は人よりも優れた感性を持ち合わせているのだろうか。そもそも誰も考えたことのない企画を考え出すというのは、ど んな感性を持っていれば可能なのだろうか。迷わずプロデューサーの道を選んだ。

コマーシャルはいつも誰かの頭の中にあるひとつのアイデアから始まる。企画マンが考えた不確かな映像。不確かな想い。 それを実像に定着し、そこから利益を産み出していく面白さに、やがて俺はとりつかれた。同時にその制作を人々の手に 委ねなければならない不安に脅えた。酒の量が増えはじめたのはこの頃からだろうか。自分の集めたスタッフが、企画の 意図どおりに瞬間、瞬間にその絵を創りだしてくれるだろうか。祈るように酒を飲む。しかしいっこうに酔いはまわって こない。真っ赤な顔をして、一睡もせずに撮影当日を迎える日々が続く中で、大川信吾の仕事なら一肌脱ごうというスタ ッフが少しずつ増えていった。黒澤のジャンパーをもらったのはその頃だ。

一人前のコマーシャルプロデューサーとして、ようやく黒澤明が認めてくれた。あの人の世界に近付けた。そんな気がし て、俺はその日黒澤のジャンパーを着て、うれしくて明け方近くまで江古田の馴染みの店を飲み歩いた。黒澤のジャンパ ーは映像に関わっている人間にとって、それだけの意味をもっていた。俺は国内でも海外でも撮影現場に出るときは黒澤 のジャンパーを着るようになった。

そのジャンパーを着て世界を歩いていると、黒澤が世界中の多くの人たちの心をいかに捉え続けているかがよくわかった。 ニューヨーク大学の映像学科で黒澤を学ぶ青年は俺の後をいつまでもつきまとった。マンハッタンの地下鉄でわざわざ手 袋をはずし、感激に涙ぐみながら握手を求めてくる老婆がいた。フィレンツェのレストランで、オスロの空港で、パリの 小さな映画館のカフェロビーで、俺のジャンパーに気づいた人々は興味深そうに「あなたは黒澤のスタッフなのか」と聞 いてきた。《セブン・サムライ》、《ヘブン・アンド・ヘル》、《サンジューロー》。どんなに自分が黒澤の映画を見続 けてきたかを熱く喋った。そして最後に多くの人たちはおずおずとこう切り出すのだった。

「できればそのジャンパーを譲ってもらえないか」

「残念ながらだめだ、このジャンパーは黒澤が俺にくれた特別なものだから」

俺は世界中の街角で断り続けてきた。


ジャンパーをもらってから五年後の夏、俺はロス空港の裏の、だだっぴろい荒地のはずれにあるマンハッタンビーチとい う、なにもない海岸町に一カ月以上暮らすことになった。

海辺の誰もいない道を一台の車が突き進む。夜明けの光が何層もの雲間の間から筋になって降り注ぐ。まだ弱い朝の光。 雲間からこぼれる光を受けて、新しい車は一瞬その横顔を明らかにする。そして疾走しながら再び雲間に入りその姿を消 す。やがて光が強くなり車はその全貌を現す。

確かにいい企画だ。しかしそんな偶然の光の一瞬が、いつやってくるかが問題だった。

夜明け前に起きだし海岸にでかけ、機材を設置する。快晴ならば機材を解体し、次の夜明けを迎えなければならない。天 空にべったりと曇り空が広がっていればもちろん撮影は中止。しかし夜明けに俺たちが撮りたい一瞬がいつこないとも限 らないのだから、毎日機材を借り受け、偶然の時が訪れるまで、ただ毎日を祈るように過ごさなければならない。ついていればロスに入ったその翌日にその一瞬はやってくる。つきに見離されれば一カ月待ってもそんな一瞬はやってこない。普通なら誰もそんな企画を考えなかっただろう。ロケ終了までの経費の見当もつかない企画を採用する得意先もまずない。しかしその車は、得意先の社運を賭けて開発した新車だった。劇的な空間で、その走りを披露する必要がどうしてもあった。

企画が採用になった時、俺は担当プロデューサーを下りたくなった。毎日撮影もせずに、ただ経費だけが消えていった請求書を、広告代理店や得意先が認めるとは思えなかった。いかにして経費を削減するか。プロデューサーとしての俺に与えられた役目はそれだけだった。

毎日毎日、夜の明けきらないうちから機材を設置し、車を撮影場所に待機させ、その一瞬を待つためにマンハッタンビーチに安宿をみつけた。一カ月以上のモーテル暮らし。市内まで出かけチップを払いながら食事をする予算の余裕などない。しかしハンバーガー店とピザ屋ぐらいしかない街で暮らすことは、ちょっときつかった。

サチコという女性がいると紹介してくれたのは、ロスの撮影コーディネーターの浜田健介だった。

サチコはホンダのワゴンに大型の電気釜と五袋のカリフォルニア米と醤油、わさび、海苔、おしんこなど日本食に必要なものすべてを積んで、俺たちのモーテルに現れた。モーテルのキッチンを借りてサチコが朝昼晩と三度の食事を作ってくれる。夕飯の後片付けが終わるとロスの市内に帰っていく。材料費は別にして、十人分の食事を作って一日二百ドル。一カ月続ければ六千ドルになる。

葱を刻みながら「私は従軍賄い婦だから」とサチコは笑った。変わった職業ができたものだ。しかし仕事として成立するのだろうか。

「コマーシャルとかテレビの撮影隊の連中って、ほらもうロスうんざりしているでしょう。どこにも行かないで、ホテルのキッチンで、毎回違う日本食を食べてるのが一番いいんですって。おかげさまでけっこう一年中声がかかるの。でも私は従軍賄い婦であって、従軍慰安婦じゃないことだけは、はっきり言っておくわ」

包丁の刃先を俺に向けた、ちょっと気の強そうなサチコはなかなか魅力的だった。

マンハッタンビーチで夜明け前から粘りに粘る。こちらの狙い目の天気にならず、がっかりしながら機材を片付けてモーテルに引き上げる頃、サチコはワゴンでやって来る。潮風にべとついた肌をシャワーで洗い流し、海苔とおしんこと味噌汁で食事をすませると、もうその日はなにもすることがなかった。

はたして偶然の一瞬は来るのか。見積表には三十日の滞在を計上した。しかし、誰がその日数を確約してくれるのだろう。教えて欲しい。あと何日待てばいいのだ。万が一待っても待ってもその日が来ないという不幸にそなえて、完璧でなくても いい、とりあえずキープという絵を確保したい。少しでもフィルムを回しておきたい。しかし、カリフォルニアの脳天気な青い空はロス入りした日からなんの質感もなく広がり続けていた。いっこうにフィルムは回らない。いらつきを押さえるよ うに、俺は安モーテルの掃除も何もしていない、水を張っただけのプールサイドの木陰で、朝の十時からウォッカトニックをただひたすら飲む。サチコの作ってくれたサンドイッチとビールで昼食。午後の眠りから醒めるとウォッカトニック。日本に残してきた仕事の対応策を次々にファックスする。こんなところでただ劇的な夜明けを待っているわけにはいかない。ウォッカの量は明らかに午前中より増えている。夜は枝豆と冷奴でオークランド産「松竹梅」。声には出さないが「どうぞ明日は欲しい天気になりますように」と念じながら杯を重ねる。確実に体内にアルコールが蓄積されていくだけの、ただ退屈な毎日が過ぎていく。日本から持ってきた文庫本もみんな読み終り、誰彼となく、なにかすることがないだろうかと言い出した頃、サチコが教えてくれた。

「三ブロック先のピザハウスの隣にビデオ屋があるわ。みんなの食べる材料を買い込んだ後にたまに覗くんだけれど、これが不思議な店なの。大きいわけじゃないのに、なかなか品揃えが凝っている。日本のテレビドラマもあれば、黒澤明、小津安二郎のシリーズも揃ってる。香港映画もいっぱいあって。店員がみんなおもしろいのよ。いちいち俺はこの映画がいいと思う、いや俺はこれがと客に薦める不思議な店よ。映画狂の子供たちが好きでビデオ屋で働いているという感じかしら。日本のアダルトビデオの無修整版まであるのにはちょっと驚いたけど。こんなにみんな退屈しているんじゃ、あのビデオ屋がお薦めね」

「アダルトビデオの無修整版ね。いいじゃない。行ってみようか」

午後九時を回る頃、演出の松川順一が言い出した。俺は黒澤のジャンパーを着込むと、松川と一緒にモーテルを出た。海の匂いがする。田舎街の小さなアーケードはほとんどもう店を閉めている。海岸沿いの遊歩道の光がぼうっと霞んでいる以外、辺りはしんとした闇に包まれている。襲われたら終わりだ。撮影フィルムを確実に日本に持ち帰るまで、どんな事故があってもいけない。どちらが言い出すともなく、二人はビデオ屋の明かり目がけて一目散に走った。

店に入ると奇妙な雰囲気だった。俺たちはとんでもないところに入ってしまったのだろうか。従業員が五、六人いて客は誰もいない。背の高い妙に顎の長い男がガムを噛みながら甲高い声で馬鹿笑いをしている。黒人がしゃべるような口調で話しかけてきた。

「ヘイ、マーン。日本人だろう。じゃソニーを知ってるよな」

ソニー。誰だろう。俺は頭を振った。

「え。本当にあんた日本人なのかい。ソニーを知らないって。ソニー千葉だぜ」

ロスで活躍している二世タレントなのだろう。俺は再び頭を振る。

「まいったな。ソニー千葉を知らない日本人がいるなんて。信じられないよ。ヘイ、マーン。じゃクロサワは知っているよな。うちにはクロサワがずいぶん揃っているんだ」

俺は黙って男の前でジャンパーの背を向けた。KUROSAWA FILM STUDIO YOKOHAMA。男はその文字を何度も何度も読んだ。そして興奮した。

「おい待てよ。本当かよ。あんたクロサワのスタッフか。おい、みんな来てくれ、クロサワのスタッフがこの店に現れたぜ」

店の店員たちが俺の周りに集まってきた。みんな若い。

「違うんだ。俺は黒澤のスタッフじゃない」

「じゃどうして、このジャンパーを着てるんだ」

「俺はコマーシャルを作っている。黒澤スタジオで撮影を何度もしたので、スタジオ側がサービスで俺にもジャンパーをプレゼントしてくれたんだ」

俺が黒澤組の一員でないと知ると、多くの店員は俺から離れていった。しかしその顎の妙に長い奴だけは熱心に俺にまといついてきた。

「コマーシャルか、いいな。じゃロスには撮影できてるのか」

「うん。毎日そこのマンハッタンビーチで俺たちの撮りたい絵になる夜明けを待っている」

「そうか。あの浜辺はいいだろう。俺もフィルムメーカーになったら、あの浜辺の夜明けを撮ろうと思っている」

「フィルムメーカー?」

「日本で言う映画監督さ。こっちではフィルムメーカーと言う。なんだか職人ぽっくていい言葉だろう」と松川が教えてくれる。

「映画を撮っているのか」

「撮りたいと思っている。だからこの店の店員たちと脚本を書く準備をしているんだ」

俺の若い頃と一緒だ。コマーシャルの制作進行になった時いつかコマーシャル演出をしたいと思った。しかし忙しさにまぎれて俺は真剣に企画プランを書きはしなかった。徹夜作業の続くスタジオの片隅で企画マンに与えられた課題を俺も書いてみようと思ったが、睡魔に負けて、美術用のベニヤ板の上で転がるように眠り落ちていた。著名な演出家の編集作業の手伝いをしながら、たった三駒フィルムをたすだけで、全体の映像が一気に命を吹き返す現場にいながら、その感性に驚くだけで俺は盗もうとはしなかった。

きっとこの男もその類なのだろう。妙に愛嬌のある長い顎をしゃくりあげながら、男は興味深そうに聞いてくる。

「コマーシャルというのはロスだけじゃなく、いろんな街で撮影するんだろうな」

「まあな。いろんな街に行った。ニューヨークだろう。シカゴでも撮影した。マイアミ。ナパバレー。アトランタ。ナッシュビル・・・・」

俺は今まで行ったことのあるアメリカの地名をひとつひとつあげていった。それぞれの街で過ごし、それぞれの街でひとつの絵を撮った。旅人が決して体験することのない、深い体験を街々で確かに俺はしてきた。

「ヨーロッパには行っていないのか」

「ヴェニスだろう。パリ。ニース。ストックホルム。オスロ。ハンブルク・・・・」

「いろいろ行ってるんだな。ヴェニスはどうだった」

「不思議な街だ。時間がそのまま止まっている。マドンナが《ライク・ア・バージン》という新曲のためのプロモーション・ビデオを撮ったので、バージンロードと呼ばれている運河がある。そこで同じように撮影した。狭い運河に光が差してくると、街が生き返る」

男は急に早口でしゃべりだした。

「マドンナの《ライク・ア・バージン》は巨根とやりたい女の唄だ。いや違う、傷つきやすい女の唄だ。何人かと寝た後で本物の男に出会うんだ、あんた知ってたかい」

知らないというふうに俺は首を振る。

「ヘイ、マーン。俺が教えてやる。《ライク・ア・バージン》はやりまくってる女の唄さ。朝も昼も夜もシコシコシコシコ。何回やる。いっぱいだ」

男の唾が飛ばないように俺は少し下がった。すると男は一歩前へ踏み出し、俺の胸に人差し指を突きたてるとまたまくしたてる。俺は男の唾攻撃を避けるように身体を左右に揺らしながら男の話を聞いた。

「その女がある日デカチン男に出会う。ところがその男とやろうとするとびっくり、痛いんだ。まるで処女みたいに。もちろん処女だからでじゃなく、奴のがでかい。だから痛い。処女を失う時みたいに痛い。それであの歌は《ライク・ア・バージン》というのさ」

きっとこの意味のないことを、マドンナの話がでるたびに、男は言い続けてきたのだろう。機関銃のように喋ると再び俺の胸を人差し指で突き刺し、甲高い声で笑った。愛嬌があった。俺も思わず笑いに引き込まれる。

「シコシコ女が痛いのか。そりゃよっぽどでかいんだろうな」

「そう、でかい。だから痛いのさ」

男は気軽に俺の肩に手を回して言った。

「で、ブラザー。このジャンパー譲ってくれないか。俺はクロサワのファンなんだ」

「残念だがそれだけは勘弁してくれ。映画を撮りたいのなら、いつか日本に来て黒澤スタジオで映画を撮るといい。そうすればジャンパーはきっと手に入るはずだ」

俺はそう言うと棚から黒澤明の《野良犬》と《天国と地獄》そしてアダルトビデオを一本借りるとその店をでた。

「奇妙な男だな。妙にぺらぺらしたあの感じ。しゃべっていることはなんの意味もない。どんどん、どんどんブラックホールのように空洞化していく。でも、それがあいつの手なんだよ、きっと。すべてのことを無意味にしてしまう」

松川は演出家らしい視点で顎の長い男を見ていた。

「でもいいビデオ屋が見つかったじゃないか。あとどのくらいいなければならないのか、見当もつかないこの田舎街で、ビデオを見て過ごせるのは救いだ」

無修整ビデオのクライマックスにあわせて、何週間ぶりかの性処理をした後で、《野良犬》を見た。

睡眠不足のまま目覚まし時計のベルで飛び起きる。午前四時、モーテルから二ブロック先のマンハッタンビーチ集合という、ここ一週間以上続いた毎日と同じように、その日も眠い目をこすりながら、まだ寒い浜辺にたった。風が強い。羽織った黒澤のジャンパーは風を受けて、胸元で大きく膨らんだ。

「信吾さん、ちょっと来てくれませんか。撮影につき合わせてくれと、不良みたいな兄ちゃんが来てるんですけど」心配顔で俺の横にたたずんだのは制作進行の小浜明だった。

入社して五年目、制作進行として小浜は一番脂の乗っている時期だ。撮影不能で撤収を始めるスタッフに「みなさん朝

早くからごくろうさまでした。明日はこの明が絶対いい天気をもってきますからよろしくお願いします」と、誰が教え指示したわけでもないのに、日本語とへたな英語をまじえて大声で喋る。アキラ、アキラと技術スタッフに可愛がられるのも、もって生まれた陽性の資質のおかげなのだろう。「撮影中止になるとなんにもやることがありません。こんな田舎街でお天気ごいをしているよりも、信吾さん、企画の勉強させてください」と言ってきたのもロスに入ってすぐだった。プランナーに与えられた数々の課題を日本からファックスで受け取ると、ビデオ屋にも行かず、プールサイドに現れることもなく、終日モーテルの部屋にこもって小浜は企画を書き続けていた。夕食時になると見てくださいと何十枚というプランを持って来る。俺は日本酒に酔いながら、これとこれをもっと考えろと何枚かの企画を選びだす。どうすればもっとよくなるんでしょうという問に、自分で寝ずに考えるんだなと答えながら、この若い執着力に少し嫉妬する。同時に、撮影がいつ終わるかという不安にいっこうに脅えていない明にいらつきながら、俺は杯を重ねていた。俺が選びだした企画の練り上げに徹夜で悪戦苦闘したのだろう。明の目は真っ赤だった。そんな明についてロケバスの方に行くと、なんのことはない、昨夜のビデオ屋の顎の長い男がペラペラのアロハシャツ一枚で寒そうに立っていた。確かに小浜の言うとおり、この男はどこかの不良の兄ちゃんにしか見えない。

「いつか映画を撮る時の役にたつだろうと思って来たんだ、いいだろう」

撮影を手伝ってもらうのはいいけれどギャラは払えないと、俺は金銭のことだけははっきり言った。もちろんだとも。なにも金を稼ごうというんじゃない。撮影現場さえ見れればいいんだと言って、もう男はカメラ機材を運びだした。その日以来、顎の長い男は毎日夜明け前にやってきて、アメリカ人スタッフと一緒に機材の用意をし、カメラを運びだした。しかし俺たちが狙う夜明けは来ず、みんなは押し黙って機材を撤収する。そんな単調な毎日が続く。ロスに入ってからもう二十日近くがたっていた。

顎の長い男はアメリカ人スタッフの中でいつの間にか人気者になっていた。「ヘイ、マーン」と黒人のように気軽に話しかけ、にやにやしている間に相手の懐に入り込んでしまう不思議な能力を持っているようだった。アメリカ人のカメラオペレーターにレンズのサイズと画角の関係をしつこく聞く。望遠レンズを取っ替え引っ替えしながら、何度も覗いては質問を浴びせる。次に美術スタッフに銃の仕掛け方を質問し続ける。三人の男が銃を構えるとするだろう、そして三人の男が同時に銃を引くのを撮るにはどうすればいんだ。それは簡単さ。ハワード・ホークスの映画にでてきただろう。カメラオペレーターが口を挟む。そして次の日には美術スタッフが撮影用の銃を持ってきて、その空砲が火花を吹く仕掛けを教える。男たちは夜明けを待って、機材の準備を終わった砂浜で映画教室を開いていた。

予算を切り詰めるために、午前八時までに開放する条件で、俺はハリウッドの映画スタッフを集めていた。組合にしばられている彼らは、映画の仕事が始まる前にアルバイトとしてマンハッタンビーチに集まり、瞬間の時を狙う効率のいいアルバイトを喜んでいた。俺は高い組合の規定歩合を払わずに、ハリウッドの一流スタッフを雇えたことに満足していた。しかし朝のこの浜辺を一番喜んでいたのは顎の長い男だったはずだ。

「俺はいつか脚本を書くんだ。映画を撮ってみせるからな、マーン」という男のへらへらした口ぶりに、「そうか、脚本を書くか。その時は言ってきな。ハリウッドのえらいさんに俺が売り込んでやるからさ」といってカメラオペレーターは男の与太話ににやにやと答えた。

この間の一番の成果といえば、小浜の企画がついに採用になったことだ。明が書いてきた企画の中で少し面白いと思ったものを、三日間考え続けさせたうえで、俺が最終カットに手を加えたものが、五社の企画競合で勝ったのだ。明は「信吾さん、帰ったらこのコマーシャルの制作進行を僕に絶対担当させてくださいよ」と何度も念押し、初めての自分の企画の採用を喜んだ。

俺自身のささやかな成果といえば、ビデオを朝も昼も夜も、ただ毎日見続けたこと。字幕がないのでいつのまにか英語の聞き取りレッスンになったかもしれない。プールサイドに行くこともなくなったので、ウォッカの消費量がロス入りした頃よりちょっとは少なくなった。それと少し甘目の厚焼き卵とポテトサラダを毎日食べ続けたことだろう。小さな頃から、実はこのふたつが大好物なのだ。海外の長期滞在を繰り返し、東京に帰れば帰ったで、次の仕事を仕込むために広告代理店のクリエイティブ・ディレクターと夜通し話し、騒ぐ。企画が通った、没になったと言っては企画演出家と一緒になって飲み歩く。どこの飲み屋に行っても、卵焼きとポテトサラダがあれば必ず頼んだ。卵は少し甘目にしてくださいという言葉をいつもつけ加える。妻の邦枝は「ほんとに信吾はいくつになっても乳離れがしないのだから」と言って俺の好物を作ろうとはしない。もっともこの十五年あまり、家に帰って食事をしたことがないのだから、邦枝が俺のための食事を作るという習慣はなくなっていた。いつの間にか邦枝と二人の娘は三人で生きて行く方法を見つけていた。

マンハッタンビーチのテーブルに、ある夜厚焼き卵とポテトサラダが並んだ。このふたつなら毎日あってもいいと俺が言うと、サチコは俺のためにそれからこの二品を用意し続けてくれるようになった。スタッフみんなが引き上げたテーブルで、俺は最後の卵焼きをほおばりながら言った。

「同じ人の作った同じものを二週間食べ続けたというのは初めてだ。ごちそうさん」

ビールを飲み干すと俺は自分の部屋に帰った。ノックがする。明が宿題の企画を持ってきたのだろうとドアを開ける。サチコが立っていた。キッチンではポニーテールに束ねていた髪が、ボリューム豊かに広がっている。

「あんな優しい言葉を言われたの、ロスに来て初めてだった。ありがとう」

照れくさそうにサチコは笑った。八重歯がかわいかった。このロスで一人でホンダのワゴンを運転しながら、呼ばれたホテルのキッチンで賄い婦をしてたった一人で生きている女性にとって、なにげなく言った俺の一言はそんなに深かったのだろうか。手にしたウォッカのグラスを掲げながら、目で飲む?と聞くとサチコは素直に部屋に入った。転がる安酒の瓶の多さに少し驚いてから、「私にもそのウオッカを」と言った声はかすれていた。

その日以来、サチコはみんながプールサイドに出払った一瞬をついて、時々俺のベッドに潜り込んでくるようになった。

しかし神は待っても待っても俺たちが狙っている瞬間を与えてくれなかった。ロスに入って一カ月が過ぎ去ろうとしていた。こんなふうに世界中で暮らしてきたが、なんだかひどく疲れる一カ月だった。日本をでて半年が過ぎたような感覚だ。やってくるかどうかわからない、天啓のような一瞬を待って、ただ時を過ごす。そんな根気も体力も俺にはもう残っていないのかもしれない。制作進行の小浜のように、いつまで粘っても粘っても、疲れを知らない年齢はとうに過ぎていた。がっかりして撤収を見つめる俺に、顎の長い男は「明日はきっとなんとかなるさ。今夜はお天気ごいのソニーナイトだ。シンゴも俺のうちにビデオを見に来いよ。サチコもやって来るんだ」と言って片目をつぶった。男がなぜサチコを誘ったのか、ソニーナイトがなにを意味するかもわからず、俺はビデオ屋の裏にある掘っ建て小屋のような傾いたドアを音を軋ませながら開いた。

ビデオ屋の店員たちがごろごろと転がってテレビの前にいる。サチコが小さく指をひらひらさせた。顎の長い男は自分のガールフレンドとのキスをやめて、「適当なところに座ってくれ。もうすぐソニーの映画をかけるから」と言うと再び女とキスを始める。俺はサチコの横の狭い空きに座った。サチコがごく当たり前のように俺の腕に腕をからめてきた。誰かがカセットデッキのスイッチを入れる。ビデオ屋の店員たちは口笛を鳴らし、足を床に打ちつけてうるさく騒ぐ。やがてブラウン管に《闇の将軍》のタイトルがでる。タイトルと一緒に千葉真一のアップになると男たちの興奮は一気に高まった。男たちは寝そべったり、一緒のガールフレンドの耳朶を噛んでみたり、ポップコーンを噛りながら画面を見つめ続ける。

雑然とした男たちの部屋で千葉真一がばっさばっさと悪人を切り倒していく。そのたびに男たちは奇声を上げ、手を打ち鳴らす。タイトルバックにテーマソングが流れだすと顎の長い男は興奮しながらいった。

「ヘイ、マーン。ソニーは最高だろう。ソニーが率いるシャドー・ウォーリアーズはクールでナイスだろう。こんなしびれる映画はないぜ。俺はいつかソニーを主役にした映画を創るんだ」

そして顎の長い男は毎朝、浜辺で俺と別れる時に言う同じ言葉を言った。

「お願いだ。その黒澤のジャンパーをくれないか。俺はそのジャンパーを着て、書いて、書いて、書きまくる。きっとフィルムメーカーになってみせる。な、シンゴ、お願いだ。明日はあんたの欲しい絵が撮れるよ。だから俺にそのジャンパーを譲ってくれないか」

毎朝の浜辺で顎の長い男に向かってし続けてきたように、俺は男の申し出に黙って頭を振ると、その掘っ建て小屋のような奇妙な家を出た。俺とサチコはムービーパーティでもらった熱気を醒すように、海岸の遊歩道を歩いた。サチコがぼそりと言った。

「あの人はフィルムメーカーになれるかしら」

「無理だろう。いつかは脚本を書く、書くと言ながら、ビデオ屋の仲間たちとあの掘っ建て小屋で映画のお勉強をした気になって、それで終わりさ」

「大川さんはなにになりたかったの、若い頃は」

「よせよ、そんな昔のこと。なにも願わなかったさ。明のように企画を書いて、書いて、書きまくろうなんてしなかったもの」。俺はサチコの質問をはぐらかすように聞き返した。

「このロスでサチコはなにを待ってるんだい」

答えはなかった。波の音に混ざってサチコの小さくしゃくりあげるような声が洩れてきただけで、周りは暗かった。ごめん、余分なことを聞いて。俺はサチコの頬に両手を当てると激しく唇を吸った。俺の指先からサチコの涙が流れ落ちた。その時だった。シュッという音と同時に空気が裂けた。大きな塊が闇の中を動いていた。第一撃はかろうじてよけた。サチコの腕を掴むと俺の胸元に抱え込む。そこに左のフックが襲ってきた。闇の中で相手も距離を計りかねている。後ろにのけぞりながらかろうじてかわす。俺はサチコを抱きかかえるようにして砂浜に身を沈めた。その俺の背に太い腕が落ちてきた。激痛が走るのとサチコが叫ぶのが同時だった。サチコを守らなければ。俺は顔を砂浜に埋めるようにして身をさらに沈めた。口の中に砂が入り込んでざらつく。その時、激痛の中で「ヘイ、マーン。なにしている」という顎の長い男の声が聞こえた。同時に、銃の火が上がった。腹に響く音。銃声を生まれて初めて聞いたなと俺は妙に冷静だった。俺を襲った男が闇の中に消える。

「なんだか気になって、後を追いかけてきたら襲われていた」

男は銃をベルトに差し込みながら言った。

俺は長い顎を見るなり、張り詰めていた糸が切れ、今にも気を失いそうだった。サチコが怖いよ、怖いよと幼女のように泣き続ける。がたがたといつまでも膝が鳴ってモーテルまでのあと一ブロックがなかなか歩けない。ようやく安モーテルの灯が見えてきた。モーテルの駐車場で俺と顎の長い男はじっとたたずんだ。男は俺の黒澤のジャンパーについた背中の砂を払うようにしながら、大丈夫かと言った。

「助かった。あんたのお陰だ。命があるなんて信じられない。なんとお礼をいったらいいか」

俺は口の中にたまった砂がざらつくのを気にしながら言った。男はちょっと言い淀んでから意を決したように言った。

「ブラザー、お礼はいいんだ。でも、でもだぜ、もしシンゴがいいんなら、今晩の思い出に俺に黒澤のジャンパーをくれないかな」

俺は着ていたジャンパーを脱ぐと、男に手渡した。

「本当にいいのかい」

「未来のフィルムメーカーにあげたんだ。その才能を尊敬してな」

長身の男に黒のジャンパーはなかなか似合った。男は長い手足をもてあますように、操り人形が歩くようにしてビデオ屋の方に帰っていった。男の背中のクロサワスタジオという白抜きの大きな文字だけが遠目の闇にいつまでも浮いている。そんな日が来るはずはないだろうが、もし男が本当にフィルムメーカーを目指すのなら、まずあの掘っ建て小屋から抜け出すことだ。そう思いながら俺はその背に言った。

「ヘイ、マーン。あんたは必ずその黒澤のジャンパーを着て、アカデミー賞の舞台に立つんだ」

ジャンパーの背中の文字が闇に消えたころ、顎の長い男が振り返って言った。

「明日はきっといい絵が撮れるさ。きっと撮れる」

男が言ったとおり、その一瞬は次の日にやってきた。

薄い雲間から一閃の朝の光が差し込んでいた。この一か月、俺たちが待ちに待っていた絵だった。しかしなぜか顎の長い男はその朝に限って、撮影現場にあらわれなかった。

海辺の誰もいない道を一台の車が突き進む。夜明けの光が何層もの雲間から筋になって降り注ぐ。闇から朝の光の中へ、そして再び闇の世界へ。俺たちの新しい車はその姿をかろうじて見せながら疾走した。やがて光が強くなり、車は走りの中でその全貌を現した。

「ハイ、カット。フィニッシュ」

演出の松川の声でその長かった撮影は終わった。秋には臨場感あふれるドラマティックなコマーシャルが話題を呼ぶだろう。誰言うともなく手を握り合う。肩を叩き合う。ハリウッドの映画スタッフとも親しくなれた。この関係はまた俺に新しい仕事を産み出すだろう。もう朝の光が強すぎる砂浜では機材の撤収が始まっていた。俺は撮影の小道具を詰め込むため、日本人スタッフ用の機材車のトランクを明けた。そして驚いた。顎の長い男の死体が横たわっていた。男は黒澤のジャンパーを着て頭から血を流している。トランクの底には流れ出た血がたまっていた。俺は声にならない声を上げていた。昨夜から銃声を聞いたのも初めてなら、死体を見たのも初めてだった。

「誰か来てくれ」

そう叫びながら俺はトランクを閉めた。その時、死体が動いた。男の足がはみ出し、トランクを閉めるのを邪魔した。再び俺はひきつるような声を出した。笑い声と一緒に死体は起き上がり言った。「ヘイ、マーン。撮影終了おめでとう」。男は血糊のついた手を差し伸べてきた。

新車は発売以来なかなかの売れゆきだった。俺たちの創ったコマーシャルは、その年のコマーシャルの賞をたくさんとった。

予算がきつくなるのを覚悟で、俺はある仕事を黒澤スタジオに発注し、事情を言って新しいネーム入りの黒澤のジャンパーを一枚手にいれた。そのジャンパーを着て、それからもずいぶんいろんな国で撮影を繰り返した。ロスにはその後も半年に一回、多い時には三カ月に一回ぐらい撮影に出かけた。そのたびに俺はサチコを指定し、何日か甘目の厚焼き卵とポテトサラダを食べ続けた。

「あれからたまにハリウッドクルーからも撮影現場に呼ばれるの。日本食のケータリングサービスってあまりないから、なかなかの評判なのよ」と言っていたサチコをその後、何度かセンチュリーフォックスのスタジオなどで見かけることがあった。夜の十時を過ぎてようやく撮影が終わりスタジオを出ると、隣のスタジオでパーティーが行われていたのだろう、いかにもハリウッドの映画人という感じの男と楽しそうに腕を組んで出てきたサチコに会ったこともあった。いつかサチコは賄い婦の仕事をやめてしまった。撮影コーディネーターの浜田の話では、日本食のケータリングサービスが話題になって手広く事業を始めたということだった。そんなサチコもいつかロスからいなくなった。広げ過ぎた事業の負債を抱え込んでサンフランシスコに移ってしまったというのが、ロスの撮影クルーのもっぱらの噂だった。マンハッタンビーチのビデオ屋のことはたまに思いだしたが、わざわざロス市内から郊外のマンハッタンビーチにでかける用もなかった。

あれはいつのことだろう。撮影場所を探し回っていて、マンハッタンビーチの砂浜に下りたことがある。ぐるっと回るとそのコマーシャルの企画にこの海岸が不向きなのはすぐにわかった。次はベニスビーチを見ようとロケバスに乗り込む撮影スタッフに、俺は言った。

「ここらで軽く食事をしておこうか。朝から強行軍で車に乗りっぱなしだし。ベニスビーチに向かう頃にはラッシュに巻き込まれて、食いっぱぐれるかもしれない。その先にまあまあのピザ屋があるんだ」

ピザよりもビデオ屋で、相変らずぺらぺら喋りながら、いつか脚本を書くんだ、いつかフィルムメーカーになるんだと言い続けている、奇妙に人懐こい男に俺は会いたかった。

ビデオ屋は今にも倒れそうに、そこに建っていた。ドアを開けようとしたが開かなかった。マンハッタンビーチからハーモサビーチへ移るのでご用の方はそちらにどうぞと書かれた手書きのビラが風に吹かれていた。そう、あの夜明けの撮影から六年以上がたったのだ。ビデオ屋の隣にあったピザ屋で俺たちはカリフォルニアワインとピザの昼食をとった。「信吾さんはどこへ行ってもB級グルメの店を知っていますね」といつまでも感心している若い制作進行にワインをついでもらう。こいつが感性豊かな企画マンになることはまずないだろう。人のことをただ感心し満足してしまう人間にこの仕事は不向きなのだ。よく冷えたカリフォルニアワインを飲み干しながら、ビデオ屋の裏の掘っ建て小屋のような部屋で店員たちが、毎晩映画を見続け、わけのわからない映画の筋を語り合っていた、奇妙に暑苦しい日々を俺は思いだしていた。たった一杯のグラスワインなのに酔いが回る。ベニスビーチに向かうロケバスの中で俺は落ちるように眠り込んだ。

その撮影を終えて帰国した夜に、俺は突然顎の長い男に出会った。

海外から帰った日には必ずビデオ屋に行くと決めていた。どうせ時差惚けで夜中に起きだし、いくら酒を飲んでも眠られなくて一人苦しむのだ。そんな時はウォッカを舐めるようにして、ただビデオでも見続けるしかなかった。

その映画はまったく俺の知識にないものだった。監督名はただただ長く覚えづらい綴りだった。題名も奇妙だった。なんとかの犬。聞いたことのない単語だ。夕食をとると崩れるように寝入ってしまった。目が覚めたのは案の定、午前一時を回ったばかりという早い時間だった。長旅で体は疲れているのに、目だけはやけに覚醒していた。俺は借りてあったビデオを取り出した。

男たちのアップから突然その映画は始まった。黒ずくめの六人の男たちが安食堂で食事をしながら喋っている。

「《ライク・ア・バージン》は巨根とやりたい女の唄だ。唄全体が巨根の暗示だ。いや違う、傷つきやすい女の唄だ。何人かと寝た後で本物の男に出会う」

「時間切れだ。馬鹿な話は他でやれ」

「トビーって誰だ」

「傷つきやすい女が本物の男に出会うのは《トゥルー・ブルー》だ」

「なんだそれ」

「マドンナの超ヒット曲だぜ。一度も聞いたことがないのか、マーン」

その声に記憶があった。しかし、思いだせない。なんの脈絡もなく続く男たちの会話と表情を、カメラはゆっくりと横移動しながらとらえる。

「《トウルー・ブルー》は傷つきやすい女の唄で、《ライク・ア・バージン》は巨根の唄。俺が教えてやる。《ライク・ア・バージン》はやりまくってる女の唄さ」

この話はどこかで聞いたことがある。どこだったっけ。酔いのまわった白濁した頭は遠い日のことを忘れさせる。そして、ようやく気づく。マンハッタンビーチのビデオ屋で、俺がヴェニスに行ったことがあると言うと、奇妙にぺらぺらした男が突然鉋屑のように喋りだした話だ。ようやくそこまで思いだして驚いた。その顎の長い男が画面一杯にクローズアップで喋っていた。

「いいかい、《ライク・ア・バージン》はやりまくってる女の唄さ。朝も昼も夜もシコシコシコシコ」そうかあの男は映画を創れなかったけれど、とうとう俳優になったのだ。

しかし映画は奇妙だった。あの一カ月に続いたことが次々と画面に現れた。トランクを開けると男の死体が血まみれで横たわっている。そして突然、死体は足を投げ出し、トランクの閉じるのを阻止する。男とソファで横たわっている女優は、ソニーナイトの日に俺があの掘っ建て小屋に入っていくと、男とキスをしていた女だった。三人が同時にピストルを撃つにはどう撮ればいいと、男がしきりにみんなに聞いて回っていたシーンがラストシーンだった。ようやくこの映画はあの顎の長い男が創ったのだと確信する。六人の殺し屋たちがただ無意味なことをしゃべりまくり、自己主張し、わめきちらす。その空洞化の先にある死と暴力の前で、人間は弱い存在だという事実が浮き彫りになっていた。

「やったじゃないか、フィルムメーカーになったじゃないか。おめでとう」

俺は黒ずくめの顎の長い男にウォッカのオンザロックを掲げた。同時に、あの日掘っ建て小屋にいた、他の男たちのことが気になった。あの奇妙に暑苦しい部屋から抜け出せたのは、この男の他にいるのだろうか。

男の二作目は殺しと麻薬と八百長試合という安手な物語が、饒舌で猥雑な文体で映像化されていた。それは新しい映画スタイルの登場を予感させた。カンヌの映画祭でグランプリをとり、顎の長い男は押しも押されぬヒットメーカーになった。俺たちの撮影現場でも、照明待ちの時間潰しに、たびたび男の映像の新しさが話題になった。映画雑誌には、ビデオ屋時代に一緒に過ごした店員たちから、アイデア盗用の罪で男が訴えられているという記事が載っていた。あの掘っ建て小屋でビデオを見ながら、みんなで映画のストーリーを話し合った日々のことなのだろう。しかしそれは罪なのだろうか。男は脚本を書き、他の店員は書かなかった。それだけのことだ。やがて男の第二作はアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞の他六部門の候補作になった。

第六十七回アカデミー賞のテレビ中継を、俺は男がオスカーを手にすることだけを祈って、ジャック・ダニエルをあおりながら見入った。

司会者が脚本賞の名前を読み上げると、拍手に包まれながら顎の長い男は席から立ち上がった。男はタキシードの上に黒澤のジャンパーを着ていた。そして後ろを振り返り観衆に向かって、長すぎる手をもてあますようにして広げた。男の背中のKUROSAWA FILM STUDIO YOKOHAMA の白い文字がテレビ画面いっぱいになった。やがて男はジャンパーを脱ぐと、舞台に向かって歩きだした。男は少しはにかみながら、長い体を折るようにしてオスカーを掲げた。

俺はそのオスカーにジャック・ダニエルのオンザロックのグラスを軽くぶつけた。その瞬間、ざらついた砂がいつまでも口の中に残るように、いままでずっと気になっていた疑念のすべてが氷解した。

なぜ俺を襲った男の第一撃も次のフックもよけることができたのか。

なぜあのマンハッタンビーチで太い腕が俺の背中に落ちてきた瞬間に、男が現れのか。

なぜ映画で撮影用の銃が火を吹くように、闇の中を長い炎となって火が走ったのか。

なぜ撃たれた男は怪我もなくどこかに消え去ったのか。

顎の長い男は黒澤のジャンパーを手にいれるために、人を雇って、俺を襲ったのだ。サチコも呼んでいたのは、帰りに

二人が海岸のデートを楽しむだろうという計算だった。顎の長い男の執着心としたたかさを、俺は初めて知ったような気がした。マンハッタンビーチの砂のざらつきが口の中に広がる。急激に酔いが回ってきた。

得意先が撮影現場に来るために、どうしても現場に顔をださなければならない、二泊四日のスウェーデン出張の荷造りを、酔って帰った夜更けに、妻の邦枝を起こさないようにして始める。ウオッカの瓶を割れないよう黒澤のジャンパーに巻きつけ、手荷物に押し込む。そしてふと思う。黒澤明が「シンゴ・オオカワ」とネームを入れてくれたもう一枚のあの黒澤のジャンパーを、フィルムメーカーとして次々とヒット作を連発し続けるクエンティン・タランティーノはどうしただろうかと。

  
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