ようこそ「一人広告代理店」馬場コラボレーションへ

馬場マコト業界全発言

[CM通信]1999年9月20日号 インタビュー
30年いた"広告代理店"を去る理由 馬場マコト氏に聞く
日本リクルートセンター、旧マッキャン・エリクソン博報堂、東急エージェンシーという3つの広告会社で約30年間におよぶ"広告会社人生"を送ってきたクリエイティブ・ディレクターの馬場マコト氏が9月30日で東急エージェンシーを退社する。
なぜいま、広告会社を辞めるのか。その理由を聞いた。

この30年間、広告会社が機能してきたことと、機能してこなかったことがある。 広告は、組織力で動く広告会社に支えられた機能と、個人の創造力で動かす機能との2つで成り立っている。私自身、組織人として個の創造力を統合し活性化させなければならない立場にいた一方で、この4〜5年の間に広告会社は、東急エージェンシーだけでなく、活性化しにくい"無個性"の組織体となっていった。
たとえば今年10年目を迎えたクリエイター・オブ・ザ・イヤーはそのシンボリックな現象であった。この10年間、佐々木宏氏がグランプリを2回、岡康道氏が特別賞とグランプリを1度ずつ計2回受賞した。もちろん、2人に実力はあるが、次から次へと新しい広告の担い手たちが光り輝くように登場するのではなく、だんだんと偏りをみせていく。その理由は「キャラクターが底をついた」のか「キャラクターが生まれにくい広告会社になってきた」のか。要因はおそらく後者である。つまり、広告会社がキャラクターを創出できない体質になってきたということ。言い換えれば、キャラクターが出現しにくい組織をつくらざるをえなかった。そういうジレンマが私の中にあり、広告会社という組織体そのものに見切りをつけたのである。おそらく、電通を退社された岡康道氏、福岡彰夫氏も根底にはそのような"見切り"があったのではないだろうか。

モノを売るという広告活動のなかで、絶対無比なのがクリエイティブ・ディレクターの判断であるはず。ところが、その判断の中で一気呵成に動かなくなってきたのは、特定の広告会社に限ったことではないだろう。クリエイティブ・ディレクターとしてブランドと共に生き、ブランドを守りとおすために、社内の組織的な部分で波風をたてなければならないのに、その力量や価値とは別に、勝ち負けを問題にしないで誰もがクリエイティブ・ディレクターになっていったら、クリエイティブ・ディレクターそのものの価値までをも失ってしまう。
クリエイティブ・ディレクターという職種は、どんな組織形態にあっても存立できる仕事であり、プロジェクトごとにチームで取り組むことに変わりはないので、私は、自分が"フリーになる"という意識はもっていない。今まではそれが、広告会社という枠の中にしかなくて、私にとっては動きにくい環境になってきたから、その枠から出る選択をしただけ。 もっと言ってしまうと、組織は組織の顔でしかないし、個人の勝ち負けにきちんとおとしまえをつけず、中途半端な結果を出してきたことにうんざりしていた。それは広告会社という組織そのものに対しての苛立ちであり、純粋なクリエイティブという環境を実現したいと思った。

昨年2月、ニューヨークのクリエイティブ・エージェンシーを数社取材したとき、全員がクリエイティブ・ディレクターとして自分の名前でビジネスをしていた。挨拶をするのにも、「どこどこの誰です」ではなく、社名にもなっている自分の名前で堂々と仕事をしているのである。ハル・ライニー&パートナーズ、ピーター・アーネル、ジェフ・マッケィ。みな、ひとりのクリエイティブ・ディレクターを中心に動いている。大勢のクリエイティブ・ディレクターが勝負に関係なく"みんなCD"でやっている広告会社とは対局にあった。これは日本に限ったことではなく、米国も含めて世界共通の現象ではないかと思う。

かつて「フルネームで生きよう」というコピーがあった。独立したクリエイティブ・エージェンシーが誕生するような世の中になってきて、私も含めて自分のフルネームで仕事をするということは、つまり責任の代償として報酬を得るということ。反面、広告会社の中ではフルネームで動きにくくなり、クリエイティブ・ディレクターの力が弱くなっていく。そもそもコミッションの世界でクリエイティブ・ディレクターは育たないのである。

私はこれまでの仕事でも、見積書には独自にクリエイティブ・ディレクション・フィーの項目を設けていた。営業や広告主には理解されず、その項目を消せと言う、いえ消せません、『△』をつけさせて下さい、と言って一銭も取れない項目を残してきたのも、フィーがいくらなのかを認識しておいてほしいという思いがあったからだ。しかし現実問題として、予算が限られている現状からも、認知されてこなかったフィーをどのような形で計上するのか。まだ明確な答えは出ていない。
実はここに一番大きな問題があるのだが、過去にも独立したクリエイティブ・ディレクターは存在していたのに、クリエイティブ・ディレクターのフィーが認められなかったため、彼らはクリエイティブ・ディレクションのフィーに代わって、タレントや会社経営など別なところでおとしまえをつけてきた。そういう時代の環境だった。本来、クリエイティブ・ディレクターがクリエイティブ・ディレクションで生きていかれれば理想で(実は、独立で一番悩んだのがこのこと)、私もはじめは演出をやってもいいかな、とも考えたが、やはりクリエイティブ・ディレクターが唯一無比であるために、その領域を混乱させてはいけないと思った。実際、クリエイティブ・ディレクターの領域をきちんとしてこなかったために、山ほどの混乱が起きているのである。

今は次の時代への"Take Off"のときでもあるのだろう。岡康道氏率いる《TUG BOAT》が一番に名乗りをあげたが、創造力と価値観の発想が、時代に向けて群発するというのは歴史を見ても明らか。今の広告業界に限っては早期退職制度の波及効果も多少はあるだろうが、クリエイティブ・ディレクションでフィーを設けなかった結果、「このままではダメだ」という地殻変動が一気に起こっているのではないか。この地殻変動はまだまだ続くだろうと思う。
電通の山本高史氏が今年のクリエイター・オブ・ザ・イヤーの講演で発言した、「(岡氏のように)理由をもって会社を辞める人がいる。残る人間にも、理由が必要だと思う」という言葉が私の心に刃のようにつきささった。山本氏は残る理由を明確に持っているのだが、今までは会社に残る理由を明確にする必要などなかったのに、考えざるを得ないシーンに、日本の広告会社が移行したのだ。しかしどのような組織体にあっても、クリエイティブ・ディレクターが明確にフィーをとれるということ、そしてクリエイティブ・ディレクターとしてフルネームで仕事をし続けることができるという時代になってほしいと思っている。

広告業界にいる人間にとって、広告賞を受賞することは、その仕事を第三者が評価する"資格"のようなものだ。この12年間、ACC賞を受賞し続けてこれたこと、そして他の広告賞も含めて受賞できるような仕事にめぐまれたことは、東急エージェンシーにいたからこそであり、心から感謝している。
  
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