ようこそ「一人広告代理店」馬場コラボレーションへ

小説

講談社刊 1997年
銀座広告社第一制作室

第1章 二十の赤い薔薇

朝日新聞に取り上げられてから実際のキャンペーン開始まで十日もあるというのに、新聞もテレビも毎日ストップ・エイズの話題でもちきりだった。

テレビでは保健庁が放映を予定した二百五十回以上のコマーシャルがニュースとして、ワイドショーとして、そしてエイズ教育の番組として流されるという不思議な現象を生んでいった。中でも、世界エイズデーに向けて毎日エイズ特集をしていたNHKは、毎日野村たちのコマーシャルを放映し続けた。NHKでみるコマーシャルという不思議な体験だった。

取り上げられたマスメディアの番組、記事を広告換算すると、キャンペーン前にすでに三億円の効果があった。そんな中で難航した出演交渉もスムーズに進んだ。

だが、最後まで太地喜和子の抜けた穴は埋まらなかった。最後の一人がどうしても決まらなかった。結局このキャンペーンは十九人で終わるのだろうか。

二十の赤い薔薇をつけたかったがもう最後の締切りがきていた。

そんな時一本の電話がかかってきた。

「電通の大島といいます」と相手は切りだした。

トヨタのキャンペーンやJRの《その先の日本へ》という旅情豊かなキャンペーンを担当している、電通のクリエイティブ・ディレクター大島征夫おおしまゆきおだった。競合先のクリエイティブ・ディレクターからどうして電話がかかってくるのだろうと野村は怪訝な気持で電話にでた。

「うちの会社にモリジンみたいな営業がいなかったのを悔やんでいます。僕にエイズを指名していたらどうなっていただろうと思うんです。野村さんの案を超える企画が作れたかどうかまったくわからないけれど、僕もこの企画はどうしてもやってみたかった。新聞をみてやられたと思っていたんです。そんなところにモリジンから電話がかかってきた。野村さんに迷惑をかけたので、誰か僕の知っているタレントを紹介してくれないかと。学校の同期でしてね。あいつがエイズの担当営業だと知って、なお、この企画の競合はやってみたかった。太地喜和子の抜けた後が埋まらないそうですね。協力させてもらえませんか。これは代理店を越えて制作者みんなが取り組むべき仕事ですよ」

「ええ、喜んで。実は最後の一人が決まらなくって、弱っていたところです」

「南野陽子では駄目ですか」

「彼女には早いうちに交渉したのですが、断られましてね。このキャンペーンは本人の意思で立っていただくもので、一度断られたところには再度攻めないことにしているんです」

「僕、彼女とはデビュー以来のつきあいをさせてもらっています。大島さんがでろというのなら、でると本人から了承をもらったのですが」

「ありがとうございます。恩にきます」

電話をおくとなんだか急に力が抜けた。モリジンの心配りと大島の男気がありがたかった。野村は自分を奮い立たすようにおおきな声でいった。

「おーい。みんな集まってくれ。二十人目が決まった。それもビッグタレントだ。壮一郎、長嶋さんと同じくらい大きな薔薇の花を大至急作るんだ」

WINK、サンプラザ中野、相原勇、野村宏伸、蓮舫、岡本綾子、柳沢慎吾、小林亜星、梓みちよ、加賀まりこ、西川のりお、衣笠祥雄、桂三枝、唐沢寿明、渡辺貞夫、獣神サンダー・ライガー、早見優、高橋ひとみ、長島茂雄とならんだ横に野村は南野陽子と書き込んだ。

室員全員が集まってきて大きな拍手となった。

二十の赤い薔薇が野村室の汚い壁に燦然と輝く。誰彼となく、握手を繰り返す。

「今夜は飲みにいくぞ。イレーヌの貸し切りだ。モリジンと林君もよんでくれ。バーテンのノムさんが皆さんを酔い潰れるまでご招待だ」

野村室の全員がカウンターに座ると小さなイレーヌはいっぱいになった。誰もが酔っている。林が嬉しそうにいう。

「服部先生を呼び出しませんか。今日は記念すべき日なのだもの」

キャンペーンを目の前にしてまだ遅くまで庁舎に残っていた服部がやがてかけつけてくる。野村は服部のためにオン・ザ・ロックを作るとグラスを軽くぶつけながらいった。

「服部先生がいたからこのキャンペーンはできた。僕らはあなたの根っこに添って企画を書いただけなんですから。あなたがいたから東京はエイズと闘えた」

「とんでもない。僕はエイズという白いキャンバスを提供しただけだ。どんな絵を描いても自由だった。野村さんはそこにこんなに大胆に二十本の薔薇の絵を描いた」

モリジンが野村に、酔った口調でいった。

「昔、バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードのでた《追憶》という映画があったろう。あれの原題を知っているか」

野村は知らないという顔で首をふった。

「THE WAY WE WEREという。邦題の訳し方はひどくてね。あれじゃラブロマンスになってしまう。これが俺たちのやりかたとでもいうのかな。いい映画だった。エイズ。確かにTHE WAY WE WEREだったよ。あんたを指名してよかった」

酔っ払いながら村田が野村のところに近づいてきた。

「チョーさんの撮影なんですがね。僕に演出をやらせてもらえませんか」

野村は驚いた。仕事で自分から手を上げることのけっしてなかった男が、自分から先発をかってでている。

「子供の時から長島茂雄ファンだったんです。広告業界にはいった以上、長島茂雄さんを演出するというのは夢でしょう。やらせてください」

「よし、みんな長島茂雄の演出は村っちゃんだ。一生一代の演出をするぞ」

十月十七日。村田と野村そしてサティスファクション・プロダクションのスタッフは、日本リーグでごったがえす神宮球場に向かった。ヤクルト対西武の第一戦にテレビ解説者として長島茂雄が出演することになっていた。巨人軍の監督就任決定以来、まったく時間のなくなった長島茂雄を撮影するチャンスは試合が始まる三十分前の球場の解説者控え室しかなかった。

「ヨーイ。はい。カメラ」

村田の緊張した声が控え室に響く。カメラがゆっくり回りだす。

「はい。アクション」

長島茂雄がカメラに向かって明るい笑顔で、少し跳びはねるようにしながら、甲高い声でしゃべりだした。

「エイズに対してなにができるのか。勇気と情熱をもってあなたから、ストップアクションを起こしてください。いま止めなければ」

カメラの前の長島茂雄はあくまでも明るく人々を魅了していた。テーク三で撮影はオーケーになった。

ついに二十人の撮影がすべて無事終わった。短い一カ月間だった。嵐が吹き抜けていく毎日だった。走り続けてきた一カ月が終わろうとしていた。

会社の方針で作品のスタッフリストに野村の名前がでることは二度とないが、いまではそんなことはどうでもいいことだった。

このキャンペーンを成立させたのは野村たちではないのだ。タレント生命を危険にさらしながら、無償で立ってくれた二十人の人たち。

そして、野村たちが一方的に交渉にあたる中で、自分のタレント生命とキャンペーンの必要性に悩み苦しみ、断らざるを得なかった百人近い人々。

その両者の真剣な検討の上にこのキャンペーンは成り立っていた。

二十の赤い薔薇の後ろには、百の薔薇が咲き乱れていた。

はじめて結城新一郎からエイズをやらないかと持ちかけられたとき、嬉しいと思ってしまった広告屋としての感性を野村は恥ながら、これから日本シリーズに向かおうという客でごったがえす道を、神宮球場から外苑前に向かってゆっくりと逆に歩いた。

後ろから村田喜一が追いかけてきていった。

「ノムやん、いろいろありがとう。俺、これからも広告を作っていく自信がついたよ」

野村がなにかをいおうとして振り向くと、人込みに紛れてもう村田はそこにはいなかった。

キャンペーンの開始日まで、野村たちは最後の編集や音入れで毎日を徹夜で過ごした。いよいよキャンペーンが始まろうという前々日の十月二十一日。徹夜明けの編集室に届いた朝刊の産経新聞を読んでいると、「身近に迫ったエイズ。テレビにコンドーム。《戦う保健庁》の表れ」という見出しが飛び込んできた。

[女優の早見優さんがこんなふうに呼びかける。「アメリカの若者はエイズのことをしっかり勉強しているみたい。それは自分の命の問題だから。あなたにとっても同じです」。保健庁が作ったエイズ防止のCF。二十三日から首都圏をエリアに民放各局で流れる。早見優さんのほかに、若者に人気の俳優、唐沢寿明さんや歌手のWINK、プロゴルファーの岡本綾子さんなど二十人の有名人がテレビの画面から訴える。歌手のサンプラザ中野さんは「エイズに負けないために一人ひとりにできること。コンドームを使ってください。お願いします」と実際にコンドームを取り出して呼びかける。桂三枝さん、梓みちよさんもそうだ。「テレビの画面にコンドームがでるのは恐らく初めて」とメーカーの「オカモト」総合企画室はいう。

「みなさん無料出演。時間も多くは取れず、すべて三十分以内で撮り終えました」(CFを制作した銀座広告社)役所らしからぬ素早い対応、コンドームを率先してテレビに登場させる英断に「エイズと戦う保健庁」の意気込みがうかがえる。

八月末現在、都内在住の感染者、発病者は三百二十人。二位の茨城(百十二人)を大きく引き離し国内全体の四割近くを占める。今月五日、「蔓延防止は急務」と東京保健庁は全国の保健所のトップを切って「エイズ対策室」をスタートさせた。エイズ関連事業費は当初予算で一億六千万円だったが、これに一億九千万円を上乗せした。

対策室の初代室長は栗原東三郎さん(四四)。CFづくりは対策室が設置されてから一番の大仕事になったが、思いきった内容に栗原さん自身、最初は大いに戸惑った。

「えっ、ここまでやるのと思いました。ぼくにも年頃の子供がいます。なんて説明したらいいんだろう、と思って」

このCFが報道されて「コンドームをテレビ画面に出すとは何事だ」といった苦情がすでに数件きている。しかし栗原さんは「感染を止める。それをストレートに訴えないと。批判のすべてに従うことはできません。コンドームを出すのが目的ではなく、なぜ必要なのかを考えて欲しいのです」と語る。

エイズ対策室では保健庁職員自ら普及・啓発活動の担い手になれるようにと、疾病対策局の職員向けエイズ研究も実施中。「家庭や地域で正しい知識を話すだけでも違うはず」という。

さらに世界エイズデー(十二月一日)をはさみ、十一月六日から一カ月間の「エイズ予防月間」を制定。期間中、各保健所で無料検査を行うほか、十一月二十九日には新宿西口でも無料で検査を行う予定。

「エイズは現在、治療法はないがコンドームを使用すれば予防できる。そして問題はエイズウイルスであって、感染者ではないことを訴えたい」と栗原さん。

CFに出演するサックス奏者の渡辺貞夫さんはこう呼びかけている。「音楽が素晴らしいのは壁や差別がないからだと思います。エイズへの偏見がどんなにいやなものか分かってください(一九九二年十月二十一日、産経新聞)]

会社が野村を表面から降ろして以来、保健庁にはいっていなかった。赴任した当日にコンドームのでてくるコマーシャルをみせられて、ただただ当惑していた栗原東三郎も、その間に、記事ではすっかりエイズの戦士になっているようだった。

十月二十三日。ストップエイズキャンペーンが開始された朝、野村はエイズ対策室へファックスを入れた。本当は対策室の全員に挨拶をしたかったのだが、記者クラブの手前それはかなわなかった。

「キャンペーンの開始を心からお喜びいたします。これはまさに東京の挑戦でした。いま東京は世界のビッグ・シティがなしえなかったことを広告で可能にしようとしています。対策室全員の方々のこの二カ月に渡る果敢な闘いに敬意を表すると共に、キャンペーンのご成功をお祈り申し上げます」

野村たちの作ったコマーシャルは東京全局で十日間にわたって流された。

放送が始まって二日目に朝日新聞の萩原記者から電話があった。

「結果、野村さんには御迷惑をかけました。記者の魂というのも全く無くなったわけですよ。情報の公平さを求める記者なんて、世界中どこを聞いてもいない。少し情けなくなりながらあの記事の続報を書いています。まあ、何はともあれ、批判の声がほとんどないというのが幸いでした」

そういって電話は切れた。萩原記者が書いたその記事がでたのはキャンペーンが終わろうとしている十月三十一日のことだった。

[若手歌手、俳優、スポーツ選手らがエイズ防止を訴えるテレビのスポット広告が二十三日から流されている。エイズ問題を気軽に語られる雰囲気をつくろうと東京保健庁が実地した全国の自治体で初のキャンペーン。テレビCMではタブー視されていたコンドームも画面に映して使用を訴えた。保健庁は批判を恐れていたが、都民の反響は賛同の意見が圧倒的。関係者は「エイズ問題の壁を越えられたのでは」と評価している。

スポットは一回十五秒。音楽をバックにタレントたちがそれぞれの言葉で語りかける。早見優「アメリカの若者はエイズのことをしっかり勉強しているみたい。それは自分の命の問題だから。あなたにとっても同じです」。神獣サンダーライガー「若い人はエイズから逃げちゃ駄目だ。不安だと思ったら検査を受けること。俺はもう受けたぞ」。蓮舫「まずエイズ患者や感染者の人達への偏見をなくさないと、エイズそのものはなくならないとわたしは思います」

今月中旬、このテレビ広告がニュースとして報道されて以来保健庁には一日平均十件近くの意見が寄せられた。深夜帯を中心に流れるコンドームの画面に対して、「恥ずかしくて見てられない」「子供に説明できない」などという批判が日に一、二件あったが「大切なことだから頑張って」「十日間では短すぎる」「うちの県でもやってほしい」などと賛同の意見が批判の五倍以上あった。

エイズはセックスと結びつく問題だけに、日本ではまだ気軽に話し合える状況にはなっておらず、保健庁側は若者に影響のあるタレントを中心に出演者を選び、無償を条件に交渉した。

コンドームを持って語るのは三人。桂三枝さんは「壁を乗り越えましょう」、梓みちよさんは「日本もようやくここまで来たわね」と了承。エイズをテーマにした曲を歌っているサンプラザ中野さんは「アピールするのは当たり前のこと。若い子がエイズにならないためにはコンドームが一番」と引き受けた。

このほか、「現実をまっすぐみることから始めようよ」とCMで訴えている相原勇さんは「将来の日本をわたしたちの世代が背負うなら、土台が崩れないよう一人の人間として協力したかった」、衣笠祥雄さんは「ふたりの子供の親として関心があった。自分の命は自分で守るということをもう一度考えてもらいたい」と出演の動機を語る。

保健庁エイズ対策室の服部克彦医師は「批判は思ったよりずっと少ない。影響力の大きいテレビ広告にタレント生命をかけた人たちが出演してくれたことで、この問題の一つの壁を越えられた気がする」と話している。(一九九二年十月三十一日、朝日新聞)]

結城の部屋に呼ばれて、盛田仁志からエイズを担当しないかといわれた日から二カ月強の毎日。一日も休まずただ全速力で駆け抜けてきた。あまりの忙しさに日課のジョギングの時間さえとれない日々が続いた。野村は会社から撮影スタジオや、編集スタジオへでかける交通手段としてジョギングを選ぶことで、運動不足を解消した。キャンペーンも終わった、十一月の始めにようやくひさしぶりに昼休みや夕方に、じっくりジョギングの時間がとれるようになった。

次の新しい仕事でコピーをまとめたくて夕方、会社から皇居に走りにいった。

拓馬がとんでもないアイデアをいいだしていた。このままにしてたら拓馬に負けてしまう。なんとかその仕事を早く形にしてしまいたかった。

北の丸公園の急坂を息を切らしながら駆け上る。肉体を苦しめることで企画が形になっていく。ようやく新しい仕事の方向がみえてきた。もしかしたらこれはエイズ以上に話題になるかもしれない。野村はなんだかほっとしながら馬場先門から京橋の会社までをゆっくりと走った。

この二カ月の緊張と疲労が汗といっしょになって抜けていくのがわかった。

机に戻ると汗をかいたまま走りながら考えた原稿をマッキントッシュに叩き込んだ。新しい仕事の形がみえたようだった。

野村は自分の書いた原稿を拓馬に渡した。拓馬がその原稿を読んでいる間、机の上の配達されたばかりの毎日新聞の夕刊を開いた。

うわさのCMというコラムに勇気を見せたストップ・エイズという記事が載っていた。走り終わって柔らかくなった体の、ここちよい気分の中で野村はその記事を読んだ。

[毎日どこかで一度は目にしたり耳にするエイズの三文字。これだけマスコミで取り上げられれば大変な病であることは簡単に想像がつく。が、しかし、正直いって、今のところわたしの恐怖心は「エイズよりガン」その程度の存在だ。おそらく読者の大半も同様なのではないかと思う。にもかかわらず、このところのややヒステリックとも思えるエイズ報道は、例によって、必要以上に恐怖心をあおるマスコミの興味本位のなせる結果と、これまで結構冷ややかに眺めてきたし、今もそれは否定しない。

けれど、東京保健庁が今回あえて挑戦したストップ・エイズ・キャンペーンは、ほんの少しだけそういう考えを改めさせてくれた。

「今の日本のエイズの状況は五年前のヨーロッパと同じ。アメリカのエイズ対策は最初の段階で失敗したといわれている。日本がアメリカと同じ道を歩まないようにするためにはどうすればよいか、みんなに考えて欲しい」ということから始まったこのキャンペーン。つまり恐怖が現実になってからでは遅いというわけで、マスコミの大騒ぎもエイズに関してはまんざら捨てたものではないのかもしれない。

加賀まりこ、桂三枝、渡辺貞夫、西川のりお、獣神サンダー・ライガー、梓みちよ、早見優、唐沢寿明、サンプラザ中野、蓮舫、WINK、岡本綾子、相原勇、南野陽子、衣笠祥雄、柳沢慎吾、野村宏伸、高橋ひとみ、小林亜星、長嶋茂雄の二十一人がボランティアでこのキャンペーンに参加。それぞれの言葉でエイズの怖さ、無知、偏見、予防、検診などを呼びかける。中にはコンドームを手に登場する人もいる。

日本人としてはどうしてもオブラートに包みたくなってしまうテーマをごまかしもせず、はしゃぎもせず、妙に重くもならず、ここまでストレートに表現した作り手と出演者の勇気を大いに買いたいと思う。

売るための広告作りのうまさでは定評のある日本の広告クリエーターの本当の意味での力量は、これから増えるであろうこうした公共広告や意見広告の分野でこそ試される、はずでもある。(一九九二年十一月五日、毎日新聞)]

野村は柔らかい気持でその記事を読み終わると、新しい仕事のきっかけをいいだした拓馬に声をかけた。

「今晩は有楽町のガード下で飲み放題食べ放題だ。そのあとはイレーヌのカウンターで俺がスペシャルサービスだ。すごいアイデアを捻りだした拓馬のお祝いだ」

<< back next >>
  
▲ ページトップへ