ようこそ「一人広告代理店」馬場コラボレーションへ

小説

講談社刊 1997年
銀座広告社第一制作室

第2章 一枚の写真

野村と拓馬が自分たちの企画に興奮した日から、必死にクリントンとケネディの握手をしている写真を探したが、写真はみつからなかった。

この企画がどんなに凄いかを野村が一生懸命しゃべっても、元村は冷ややかだった。

「だってノムさん、アメリカ大統領を広告に使おうというのは非常識だよ。公人に肖像権がないと、ノムさんはいうけれど、勝手にふたりの大統領を使って旭フィルムが広告を作ったと知ったら、アメリカ人はどう思う。旭フィルムの不買運動が起こったらどうするというんだ。アメリカで旭フィルムの占有率は十パーセントを超えるのだから」

身長が一メートル九十近くある元村はその風貌に似ず、何事にも慎重な面があった。広告の本質はコマーシャルではないといいきるのも、イメージだけではどれだけ売れるか分からないという慎重さがいわせるのだろう。自然、元村は手の内で実感できる販売促進を重視するようになっていた。

「いや、公人に肖像権がないということで、広告に使用している例はいくらもあるんだ。その極致は朝日新聞が去年アエラの発刊にだした広告だ。天下の朝日がだ。ちょっとみてよ」

その広告は当時のアメリカ大統領ブッシュから始まって中国の登小平、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史、ソ連のゴルバチョフ、エリツィンという世界の政治家たちの肖像を使っていた。ブッシュの顔がコンピーターグラフィックで処理され、登小平に変わる。そしてその顔がアウン・サン・スー・チーに変わっていく。

そんな絵にあわせて「世界を動かす顔に日本人がいないのは寂しい。毎週世界の顔に会えるアエラです」というナレーションが入っていた。

伝手を頼って野村は制作した広告代理店に肖像権のことをたずねてみた。公人の肖像権はないという判例に従ったという返事だった。推奨をしていないという項目にひっかかるのではと思われるようなコピーだったが問題とならなかった。放映後もどこの大使館からも苦情はこなかったという。

それでも元村は動かなかった。というより、現役大統領を使ってコマーシャルを仕上げてみようという困難に立ち向かう気概はなかった。

「ノムさん、そのことはあんたのいうとおり、ふたりの写真がでてきたら考えようや。握手しているフィルムをストップモーションをかけて、写真に仕立てるというのは絶対なしだぜ。それこそ、犯罪だ。すべては写真がでてくるかどうかということにしないか。

それより、なんか悪魔一家を越えるビッグなアイデアはないのかな。聞いているとチンケな企画ばかりだ。なんとかノムさん考えてよ」

大きな長身をもてあますように元村は野村室をでていく。

「ちぇっ、あいつ喧嘩売りにきたのか。ノムさんのように、凄いアイデアだと興奮するのが普通なのにな。あれじゃ安全牌の中でなにか面白いものないかといっているようなものじゃないですか。全く嫌になる」

そういって拓馬は毒づいた。

「拓馬、あれが普通の対応だよ。凄いアイデアだと思っても、危険なところには手をだしたがらない。ぬるま湯の中のちょっとしたアイデア。そんなものを求める奴に付き合っていたら、なにも残らない。とにかく、写真をみつけよう。写真さえみつかれば元村も反論できなくなる」

そこに電話がなった。相手は名前も名乗らずつっけんどんにいった。

「すごいじゃないですか。旭フィルムに大統領をあてる。やりましょうよ」

「誰だ、あんた」

「ああごめんなさい。宮原です。元さんから、ノムさんが考えているアイデアを聞いて、すごいなと思ったから、大統領をコマーシャルに使うなんて最高ですね。いいですね、やりましょうよって元村にいったら、馬鹿野郎、そんな危険なこと得意先に提案できるかって、怒られてしまいました。そうしていうことに事欠いて、もし野村たちが突っ走るようだったら、お前は体をはっても止めろだって。頭にきちゃいましたよ、僕。あんなおっさんの下についていたら、いつまでたっても芽はでない。なんでもお手伝いします。いってください。体をはって突っ走りますから」

宮下の短く刈り込んだ角刈りの頭を思い浮かべた。こんな男を元村は腐らせてはいけないのだ。拓馬のアシスタントとして使うにはもってこいだった。

「じゃお願いがあるんだけれど、一緒にふたりの握手の写真を探してくれないか。国内のフォトライブラリーだけでなく、アメリカにも問い合わせをしなければならない」

フォトライブラリーは世界中の風景や四季の草花、動物から女性ヌードまであらゆる写真を集めて、印刷物などに貸し出しをしている。スポーツ、事件、時事とあらゆる写真をそろえていた。都内だけでも三十軒近くある。一枚いちまい写真を調べ、キャビネットの奥深くまで探していくのは大変な労力だった。

「ぜひ手伝わせてください。写真がでてきたら、元さんもなにもいえないでしょう」

しかし、どこを探しても国内からも海外からもふたりの握手の写真はでてこなかった。時間だけが無意味に過ぎていく。

このままでは電通の企画を大逆転するような提案は用意できそうになかった。

野村はただ走った。走りながら、どうぞ写真がみつかりますようにと祈る。祈りながら、次の一歩を踏み出した。野村は竹橋の急激な上り坂であえぎ、軋んだ。それが野村のいつものやりかただった。

その日は、元村が旭フィルムの宣伝部長と午後に面会の予約をとってきていた。

広告の自主提案の前に、制作の責任者である野村を、宣伝部長に会わせておこうという、元村の戦略だった。

ジョギングの汗を流し、机の横の窓際にTシャツを干すと、野村は元村と宮原に連れだって虎の門にある旭フィルムの本社にでかけた。

三人は狭い宣伝部の代理店待合室でしばらく待たされた。元村は大きな身体を窮屈そうに折り曲げるようにして、テーブルに用意された週刊誌を読んでいた。宣伝部長に会うという緊張からなのだろうか、若い宮原は強面の顔をさらにこわ張らせている。他の代理店の男が胡散臭そうにこちらをみ続ける。確かにこの三人、普通にみたら広報部にふらりとたずねてきた総会屋にしかみえないだろう。

約束の時間を十五分過ぎて、野村は少しいらついた。お互いに極秘の企画をぶつけるために得意先の宣伝部に出向く。虎視眈々と相手の牙城を狙おうとしている。そんな海千山千の男たちが一堂に集められる待合い室。それぞれ胸に一物あるだけに一緒の席にいるのは辛かった。結局、今日も野村たちはなんとか旭フィルムで広告を制作させてもらおうと、他の代理店には気づかれずに、そっと宣伝部長に会いに来ているのだ。

野村の斜め前に座った、電通のバッジをつけた小さな男も、気がきじゃないのだろう。本を読んでいるふりをしているが、ページはいっこうに前へ進んでいない。こちらを何度もみている。

そんな濃密な雰囲気に耐えられず、野村は目の前にあるテーブルの週刊誌を手にした。最近ヘアーヌードのグラビアを売り物にしている週刊誌だった。はじめての得意先の待合い室でしげしげとヘアーヌードをみるというわけにもいかず、野村はぱらぱらとページをめくった。別に興味のある記事の特集もなかった。

そして、野村の手は最終ページのグラビアのところへ来て、止った。

「写真でみるクリントンという男の肖像」

そんなタイトルにひきつけられたのだ。クリントンの子供の時の写真と大統領選のための遊説先での演説のスナップ、そしてコンサート会場でサックスを吹くクリントンの姿が特集の一ページ目に収められていた。赤ん坊の時の写真は別にして、あとの二枚は新聞でも最近何度もみる写真だった。野村は何げなく次のページをめくった。

そこにその写真はあった。

十六歳のクールカットの少年は真剣なまなざしで、その人をみつめていた。五ケ月後にダラスで凶弾に倒れるともしらず、ケネディは少年におだやかな笑みを浮かべながら握手していた。野村の手が震えた。

「元さんあったよ。これだよ、これ。ふたりの握手の写真がこんなところにあったよ」

野村は他の代理店の男がいるのを忘れて少し興奮しながらいった。宮原が週刊誌をのぞき込みながら、小さな声で「あった」といった。野村はやったとばかりに宮原の脇腹にぶつかっていった。元村が目でシィッという表情をする。

それでも野村はまだ興奮しながら、小さい声でいった。

「これで企業広告は作れる。絶体、作れる」

電通の小さな男がこちらを何事だろうとみたので、野村はしょうがなく黙った。もう一度その写真にみ入いる。週刊誌の発行日をみるとすでに発売から二週間以上がたっている。クリントンが大統領に決まる前の特集だった。大統領決定以降の週刊誌は全部調べ潰していた。思わぬところに落とし穴があった。

しかし、内外のフォトライブラリーは調べたのに、どうしてこの写真だけはでてこなかったのだろう。写真のクレジットにはクリントン家のプライベートアルバムよりと書かれ、野村が聞いたことのないフォトライブラリーの会社のクレジットが入っていた。それは綴りからするとフランスの会社だ。アメリカの写真だから当然のように、アメリカの会社しかあたっていなかった。フランスに版権が売られているとは。この週刊誌にであわなかったら、フォトライブラリーの線からは、写真は絶対に発見されなかったかもしれない。野村は偶然に感謝した。

その時「銀座広告社さん、長らくお待たせいたしました」といって、宣伝部長の秘書が三人を呼びにきた。

野村は急の呼び出しに焦った。フォトライブラリーの会社名もまだ控えていなかった。二週間前の週刊誌はもう街に在庫がない可能性があった。

「どうしょうか、この写真」

少し焦りながら野村は宮原に耳打ちした。電通の男がいなかったら、グラビアページをそのまま破いて、立ち上がるところなのだが、それもままならなかった。

「持っていっちゃいましょう。もらっちゃいましょう」

宮原は何げない顔で立ち上がると、週刊誌を銀座広告社の袋の中に滑り込ませた。小さな男にこの犯罪は気づかれなかったはずだ。

初めて会う旭フィルムの鳥居直芳トリイナオヨシ宣伝部長はおだやかな笑みを浮かべた、白髪の品のいい初老の紳士だった。いかにも上場優良企業の宣伝部長という雰囲気を漂わせていた。

元村はかしこまって緊張気味に挨拶をした。長い間媒体を取り扱わせてもらいながら、制作の企画を提案できないままにきたこと。ついては来週にも宣伝課長の方に新しい提案をさせてもらうつもりであると話した。

それだけのことをしゃべると、五分もしないで表敬訪問という目的は終わってしまった。宣伝部長は品よく、おだやかに笑みを浮かべていた。しかし、自分からそれ以上の何かを語ろうという雰囲気はなかった。広告代理店に何かを語ることで、新しいビジネスの芽が生まれることを、明かに警戒している様子だった。

元村、宮原、野村の三人は話の接ぎ穗がなくてただ黙りこんだ。気まずい時間が流れた。その気まずさをなんとか打開するように元村がいった。

「今度、提案させていただきます、制作の責任者の野村憲一を紹介させていただきます。当社じゃ変わった思考をする、ユニークな制作者だといわれています。いろいろとヒット作を飛ばしているんですが、最近の話題でいいますと、このところずっと大騒ぎになっていた、東京保健庁のエイズキャンペーンを仕掛けたのが、ここにいる野村です」

営業が自分のことを紹介する時が一番なんだかくすぐったい。野村は照れながらちょっと頭を下げた。

元村の話を聞いていた鳥居宣伝部長の表情が変わった。さきほどまでの警戒心がなくなる。そして鳥居はつくづく不思議な出会いだという顔で野村をみつめながらいった。

「エイズを担当したのは、あなたでしたか。知らなかった。ナベサダさんと梓に声をかけたのは私なんですよ」

野村は混乱した。エイズキャンペーンの交渉は野村たちスタッフの人間関係の環わだけを使ってやってきた。エイズというはじめての新商品に、ボランティアで出演してもらうには極力誤解を避けたかった。スタッフの誰もが知らないタレント事務所とはいっさい交渉をしなかった。出演して欲しいタレントを選定すると、自分たちの周りにその事務所に連絡をとれる関係者がいないか、徹底的に調べた。そしてその人がみつかると、初めて無償で交渉にあたってもらった。

キャンペーンに出演してもらいたかったが連絡をとれる関係者がいなく、あきらめた人々もいた。だから最近業界誌に発表されたスタッフリストは二百五十名を超える膨大なものになった。野村室の室員の全員の名前が載っているだけではなく、このキャンペーンになんらかの形で携わった人々の名前が特別協力の欄に一堂に載った。彼らは野村室の理解者でありパートナーだった。

電通の大島征夫の名前やイレーヌの水本智子の名前もあった。

智子ママはその切り抜きをうれしそうに客たちに何度もみせ、レジカウンターの扉にいつまでも大事そうにはっていた。

しかしそのスタッフリストのどこを探しても野村憲一の名前はいっさいなかった。クリエイティブ・ディレクターは結城新一郎と村田喜一の連名になっていた。

誰がどう説得して、どんなルートで出演を取付けたか、責任者である野村はその二十人の経過をほぼ知っているつもりだった。渡辺貞夫と梓みちよを旭フィルムの鳥居宣伝部長が説得してくれたという話は誰からも聞いていない。

野村は混乱した。

誰があのふたりの交渉をしたのだろう。忙しさに紛れてふたりの交渉相手が誰だったのかを野村は考えたこともなかったのだ。

「イレーヌの智子から電話がかかってきて、一生のお願いだからどうしても頼みごとを聞いてくれということだったんですよ。エイズキャンペーンにでれないか、大至急私の知っている人にあたって欲しいといわれましてね。

その電話があった時は、丁度ナベサダさんがニューヨークから帰ってきたといって、わざわざ私のところに挨拶にみえていたんです。エレベーターで下に送りながら、キャンペーンにでないかと誘ったんです。

梓は前々から芸能界でエイズを語らせるには私しかいないといい続けていました。彼女は自分の専属ファッションデザイナーをエイズでニューヨークで死なせましてね。そのデザイナーが死んだというだけで、梓みちよはエイズかと書きたたかれたのです。日本の週刊誌マスコミの在り方を前々から怒っていて、ちゃんとエイズについてしゃべりたいとずっといっていました。それをよく知っていたので、でるべきだと私がいったんです」

野村は初めて聞く話に驚いていた。智子ママをイレーヌの智子と呼び捨てにする鳥居の言葉に、野村の計り知れないふたりの人間関係の深さがあった。

「それはまったく知りませんでした。僕もイレーヌにはよくいく口なのですが、店ではあまりおめにかかりません」

「智子がイレーヌをだす前からの知り合いなのです。今じゃドクターストップがかかって、銀座はご法度の身なものですから」

鳥居は寂しそうに笑った。

それにしても初対面の人間の前で銀座のママの名前を呼び捨てにする鳥居の無防備さはなんなのだろう。お互いがエイズに関わっていたということを知って、さきほどまでの警戒心が鳥居のなかで一気に氷解したのだろうか。

相手がこちらに気を許してくれている。それに応えているのだろうか。この宣伝部長の名前はスタッフリストに載っていただろうか。野村は心配になってきた。もし手違いで落ちていたとしたら、どうしよう。

エイズキャンペーンの成功はタレントのボランティアだけでなく、野村たちの周りの人々が無償で交渉や撮影にあたってくれた結果だった。だからこそ野村は作品のスタッフリストにはこだわった。

関わった人すべての名前を載せること。そしてその人々全員に出演者二十人が登場する特別完成テープを送ること。それだけが野村のできる誠意であり、無償の人々への感謝の気持だった。

鳥居の名前はあっただろうか。野村は恐る恐る聞いた。

「あのう、キャンペーンの全貌をまとめたキャンペーンテープはもうお手元に届いていますでしょうか?」

「いいや、もらっていませんが。梓のも、ナベサダさんのも知りません」

野村は呆然とした。冷汗が流れ落ちた。これでは旭フィルムにどんないい企画をだしても、不信感から受け入れてもらえないだろう。野村は真冬だというのに大汗かきながらいった。

「あの、ご協力いただいた際に、お名前を頂戴していますでしょうか。お名前を頂いた方々にはスタッフリストに名前を載せると同時に、テープを送らせてもらっているのですが」

「ああ、そのことなら、智子から問い合わせがありました。別の会社の広告のスタッフリストに、旭フィルムの宣伝部長の名前がでるわけにはやはりいかんだろうとお断りしたんです。しかし、その時、智子から担当した人が、このキャンペーンに協力した人の名前を全部出したいといっている、それだけが自分のできる、唯一の誠意なんだといっている、と聞きました。なかなかできることではないと感心していました。それがあなただったとは。これは偶然にしても、なかなか面白い偶然じゃないですか」

野村には鳥居の好意的な物いいがありがたかった。自分が押し通してきた制作者としての信条に間違いがなかった。同時にここはこの部長を攻める最大のチャンスだった。

「よろしかったら、お送りするはずだったエイズキャンペーンの二十人全員が出演しているテープをここでご覧頂けませんか」

宣伝部長は野村の提案にのってきた。見終わると、野村はまたいった。

「よろしかったら、私の室の作品集をみていただきたいのですが」

初めての宣伝部長との会見で作品集までみてもらえるとは思っていなかったが、万一のことを考えて野村は作品集を持ってきていた。宣伝部長は興味深そうに約四十分の間、野村の仕事の集大成をみ続けてくれた。そしていった。

「なかなか力作ぞろいで、感心しました。このエネルギーで当社の仕事に風穴をあけてください。いつまでも悪魔一家ばかりではないのです。実際の仕事は宣伝課長の板倉に任せていますから、後は板倉とよく話し合ってください」

旭フィルムをでてタクシーに乗り込むなり元村はこういった。

「いいかい、ノムさん、これだけは約束して欲しい。もし得意先が公人には肖像権がないので、広告をうつといっても、それだけは銀広としてはだめという立場をとる。ホワイトハウスから正式な許諾書をもらわないかぎり俺はやらないよ。アメリカで不買運動が起こった時には、結局うちが責任をとらされるのだから。子供がまだ小学校に上がったばかりなんだ。こんなことで俺は会社を辞める訳にはいかない」

元村の本音がやっとでたようだった。飯島専務の号令のもと不承不承起用した野村が手の内におさまらず、暴走機関車になることを元村はただひたすら恐れていた。野村と拓馬が企画したアメリカ大統領起用というアイデアは元村の想像力を越えるものだった。こういう男がいるかぎり大きくて刺激的なキャンペーンは成功しない。内部に爆弾を抱えてしまったと思いながら元村にいった。

「わかったよ。心配しなくても大丈夫だって。この仕事はクリントンサイドの許可なしには絶体進めない。もし得意先が企画を前へ進めろといったら、今までの制作人生のすべてをかけて、絶対俺がクリントンサイドから許可書をとってくるよ。そして元さんにこれなら安心だといわせるから。でもそんな心配をする前にやるべきことが一杯ある。まずこの企画で得意先を落とすこと。得意先の宣伝課長を説得しなければ、これ以上前に進めない」

野村と拓馬はニュースステーションの放送済み素材を手にいれて、大まかな仮編集の参考ビデオを作った。

演説をする選挙運動中のクリントン。そこに若い日のクールカットのクリントンの顔が重なる。大統領就任式で演説するケネディ。その顔にケネディの横顔が重なる。旭フィルムの受付にあったふたりの握手を複写した写真だ。手元のアップからゆっくりとフルサイズまで後ろに引いてくる。ホワイトハウスの庭先でスピーチをしていたケネディが、笑みをたたえながら下りてくる。そして一人の若者と握手をする。

クリントンが聴衆を前に演説をしている。観衆がそれに応える。その絵に再びふたりの握手している写真が重なる。

放送された素材だけで繋いだ編集だったが、一枚の写真がクリントンを政治家に育てていったことがよくわかった。

ふたりの運命的な出会いを象徴するには、人の魂が響いてくるような肉声の聞こえる唄が欲しかった。発売されたばかりの、エルトン・ジョンの唄をいろいろなミュージシャンが歌う「トゥー・ルームス」というCDの中から、ジョー・コッカーの「悲しみのバラード」を選んだ。その曲はジョー・コッカーが歌うことで、エルトン・ジョンのオリジナルより、人間臭く、荒々しく人の心に迫ってくるものがあった。

「君に想ってもらうためには、何をしたらいいのだろう」という繰り返しが、握手の写真をみながら、政治の道を目指したクリントンの心情を訴えているようだった。

野村は自分で書いた原稿を朗読して、ジョー・コッカーの曲とミキシングした。

野村と拓馬そして元村、宮原の四人が仮編集したビデオをもって、自主提案のために虎の門の旭フィルムをたずねたのは十一月も末のことだった。

宣伝課長の板倉修二は堅い表情で会議室に入ってきた。

元村が挨拶をし、自主提案を当社のクリエイティブ・ディレクター野村の方からさせて欲しいといった。野村が説明に立とうとしたら、板倉が遮った。

「お話をおうかがいする前に、ひとこといっておきたいことがあります。私、はっきりいって今回の銀広さんのやり方は快く思っておりません。当社は現場にすべて権限がまかされている会社です。口幅ったいいい方になるかもしれないが、《写写丸》にしろその他のヒットコマーシャルにしろ、みんなわれわれ現場が作ってきたという自負をいささかもっております。それが提案前に宣伝部長を訪ね、根回しをなさる。宣伝部長がおもしろい提案がありそうだといくらいえど、私ども現場がこれをやってみようという情念に尽き動かされなければ、物事は前へ進まないということをはっきりさせてからお話をうかがいたいと思います」

喧嘩腰のものいいだった。事前の宣伝部長への表敬訪問が現場のプライドを傷つけたのかもしれない。得意先の宣伝部長がエイズキャンペーンのスタッフだったという偶然はアキレス腱だったのだろうか。

しかし野村はこの若い課長の気持もよくわかった。野村たちの提案がどれだけ、彼の情念の琴線に触れるかだけが勝負だった。

覚悟を決めてしゃべり始めようとした時、元村が長い腕を机の正面に突き伏して「気分を害しましたら、平にご容赦を。平に」といって謝った。こんな古いやり方は板倉という真摯な男には通用しない。そのことを元村はわかっていなかった。板倉がうんざりした顔でいった。

「元村さん、顔をあげてください。あなたがそうしていたら、せっかくの銀広さんの提案がいつまでたっても聞けない」

提案の前にこれだけ荒れてしまっては、尋常な方法では企画を聞いてもらえそうになかった。野村は単刀直入に入っていった。

「旭フィルムは毎年、好感度ベストテンに入るコマーシャルを次々に作っています。しかし、それだけでいいのでしょうか。《写写丸》のヒットは写真の意味さえ変容させました。

ただ垂れ流すように写真を撮り続ける結果、誰もアルバムにさえ貼らなくなってしまいました。誰も写真のもつ力を忘れてしまったのです。かつてわれわれ一人ひとりにはたった一枚の重要な写真があったはずです。その写真を何度もなんども見続けることで一人ひとりが自分の進む道を追い求めたはずです。

あえていいます。コマーシャルがヒットすればいいのでしょうか。

ものが売れればいいのでしょうか。

旭フィルムという企業が人々の心の中に占めている重みをなぜ語らないのでしょうか。企業として人々の中にある意味をもう一度問い掛けてみる必要がないでしょうか。商品広告、そして企業広告。この両輪が円滑に動いて、初めて企業活動はスムーズになるはずです。そんなことで今日は次のご提案をさせていただきたいと思います」

そういうと企画書の説明もなしに、仮編集のビデオテープのスイッチを拓馬が入れた。ジョー・コッカーのしわがれた声が流れてきた。

板倉は仮編集のビデオテープが終わってもなにもいわなかった。会議室に長い沈黙がおとずれた。誰もなにもいわなかった。ようやく、板倉が口をきいた。

もう一度みせてもらえますか。

拓馬がテープを巻戻し再びジョー・コッカーが歌いだした。

「生意気なことをいってしまったようです。謝ります。今僕は大変なショックを受けています。《写写丸》がブームになればなるほど広告の本質を忘れていたのかも知れないと、今日ご提案いただいたものを前に反省をしているのです。確かにこのフィルムは私もニュースでみました。しかし、これが我が社の広告になるとは考えもしませんでした」

会議が始まった時の勢いは板倉になかった。ショックを受けているようだった。自分の気持に素直な人なのかも知れない。生意気なことをいってしまった、謝りますとは、初対面の人間になかなかいえないものだ。

「預からせてもらえませんか。これはとても私一人の判断で解決できる問題ではないようです。ただ私個人としてはやってみたい。どうしてもやってみたい。部長とも相談した上で、社長の判断をあおぎたいと思います」

「公人の肖像権はないというのが世界的な判例です。だからといって許諾なしにこれを前へ進めることは、日米関係が微妙な時だけに得策ではないと思います。ただ本来ならば、このタレントがこのような条件で使えますといって、ご提案するのが広告代理店の筋だとはわかっています。

しかし今回はクリントンサイドの出演許諾をとっているので、このような企画はどうでしょうかとはとてもいえませんでした。もし、この企画を前へ進めてみろということになれば、アメリカへ出向き条件を整えてみたいと考えています。そのことを前提にご検討いただければと」

そういう野村を遮るようにして元村がいった。

「ホワイトハウスから許諾書がこなかった場合は、弊社が責任をもってキャンペーンを中止にしますので。私どもが独走をして御社に迷惑をかけることはいっさいございませんから」

宮原が仏頂面で元村をにらんだ。板倉が苦笑しながらいった。

「元村さん。そうこの企画を潰すことを考えるのはやめませんか。どうすればこれが実現するかを考えませんか。とにかくしばらく時間をください。その仮編集のビデオテープは預からせてもらいます」

板倉からすぐにきて欲しいという連絡があったのはそれから一週間後だった。十二月に入り世の中が慌ただしくなりはじめた六日のことだった。

営業の元村も宮原も出払っていた。拓馬はスタジオで徹夜作業の編集をしていた。

野村は一人で虎の門の旭フィルム本社に向かった。会議室には板倉と鳥居宣伝部長が待っていた。板倉が口火を切った。

「社長の結論がでました。このコマーシャルが放映できるか、イエスでもノーでもいいから、アメリカへいってクリントンサイドから返事を聞いてくるようにと申しております。会社というのは物を売ればいいのだ。イメージを膨らまさせる企業広告なんていらないというのが、うちの社長の持論でした。それがあのビデオをみたとたんにイエスでも、ノーでもいいからクリントンサイドと交渉しろですから、驚きました。それだけ野村さんたちの提案は力があったということでしょう。

これでうまくいけば僕の仕事の領域も広がるでしょう。

実は悪魔一家ばかりでいいのだろうかとずっと迷っていたのです。

何度もいろいろな企業広告を上の方に提案したのですが、コマ不足というか、インパクトにかけてそのたびに壁にぶつかっていました。いままでこれだけ力のあるご提案は、どこの広告代理店さんからもいただけなかった。

放映は大統領就任式前一週間か、遅くとも当日から始めたいと思います。もうほとんど時間がないのですが、無理をしてでも何とか実現しようということになりました。さあ、すぐアメリカに飛んでください。

イエスかノーか、とにかく交渉にあたれと社長はいっているのです」

「エイズでは私が野村さんに貸しを作ったようです。あの時の貸しをぜひ今回返してください」といって鳥居は品のいい笑顔で笑った。

会議室をでようとすると、板倉がお茶でも飲みませんかと野村を誘った。テーブルにつくなり板倉修二はかしこまっていった。

「がんばって、なんとかイエスの返事をもらってきてください。お願いします」

「そんなにプレッシャーをかけないでください。さっきはイエスでもノーでもいいから、クリントンサイドと交渉をしてこいという話だったじゃないですか」

野村の冗談に板倉は答えず、コーヒーを飲むとぽつんといった。

「ビデオに使っていた音楽なんですが。エルトン・ジョンがお好きなのですか」

驚いた。ジョー・コッカーの癖のある編曲の「悲しみのバラード」をオリジナルはエルトン・ジョンだといいあてている。

野村たちより若い世代なのによほどのマニアなのだろうか。

「ええ、一九七一年の渋谷公会堂のコンサートをみて以来のファンです。来日する外タレも少ないころでしたから、とにかくぶっ飛びました」

驚いた顔で板倉がいった。

「野村さんも渋谷公会堂にいたのですか。僕もですよ。旭フィルムに入社して二年目で、まだひよっ子でしたから、残業から抜け出せず、ずいぶん遅刻をしてしまいましたが」

「というと失礼ですが、お若くみえるけれど、何年のお生まれで」

「一九四六年です。あの悲しみのバラードを聞いて、野村さんはずいぶん白髪が多いけれど、僕と同世代だと思いましたよ。はずれていますか」

「いや当たりです。僕も同じ年の一九四六年生まれです」

「じゃ、野村さんもケネディに弱いタイプですね」

「そう僕らの年代はどうもケネディに弱くていけない。だから僕らと同じ年生まれの人間が死ぬ直前のケネディと握手していて、その男がアメリカ大統領になったと知ると、つい自分のことのように興奮してしまう」

「クリントンと野村さんと僕。一九四六年生まれで僕らの世代を象徴するようなコマーシャルをぜひ作りましょうよ。気をつけてアメリカにいってきてください」

板倉修二は立ち上がると、野村に手を差し伸べてきた。

分厚く暖かい手だった。

「いく以上はきっとイエスという返事を持ち帰ります」

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