ようこそ「一人広告代理店」馬場コラボレーションへ

小説

講談社刊 1997年
銀座広告社第一制作室

第2章 一枚の写真

一九九三年一月二十一日。午前一時から第四十二代アメリカ大統領クリントンの大統領就任式はテレビ朝日で実況生中継で行われた。

野村憲一はその画面を食い入る様に眺めながら、ジャック・ダニエルのオンザロックを飲み続ける。いっもより味わい深い香り漂う。テレビでは広報担当スポークスマンのジョージ・フォルターマイヤーがインタビューに答えている。その男は野村が思っていた以上に若々しい顔をしていた。その横顔にオンザロックのグラスを掲げ、野村はたった一人の乾杯をする。クリントンの大統領就任の挨拶が終わると、中継が途切れて野村たちの作ったコマーシャルが流れだした。酔いが瞬時に野村を襲う。

翌朝、銀座広告社に出勤する前に、野村は銀座四丁目の角にある和菓子屋のあけぼのに立ち寄った。ワシントンのゴールドウィンと秋田麻比古あてに栗きんとんを送ってもらえるよう手続きをとる。

出社すると、机の上には朝刊の切り抜きがおかれていた。

各新聞が旭フィルムのコマーシャルのことをとりあげていた。

[クリントン米大統領がテレビコマーシャルに登場する。旭フィルムが就任直後の二十日夜から放映をするもので、「日本企業のコマーシャルに、ゴルバチョフ元ソ連大統領やサッチャー英国前首相が登場したことは過去にあるが、米国大統領は初めてではないか」(電通)という。「一枚の写真が語りかける感動がどれほど素晴らしいかを訴える」(旭フィルム)のが狙いで、十六歳のクリントン氏と故ケネディ大統領の握手シーン=写真(ロイター)=や、両氏の演説シーンなどを映し出す。三十秒のイメージ広告で、放映期間は二カ月予定している。クリントン氏の肖像権について、すでに同氏の了承をとりつけている。(一九九三年一月二十一日、毎日新聞)]

[就任したばかりのクリントン米大統領が日本のテレビCMに登場している。二十一日から放送されている富士フイルムの企業CMで、故ケネディ大統領と握手している若き日のクリントン氏の写真が映し出される。

この写真は選挙運動中に三大ネットワークなどで流されたニュースフィルムの中のひとコマ。ケネディ大統領の再来をアピールするクリントン氏の重要なイメージ戦略の一つだった。

旭フィルムではクリントン氏の当選後に米国のテレビ局から使用権を買い取った。

同社宣伝部では「使用料といってもびっくりするほど安いもの。クリントン氏サイドにVTRは見せましたが、お金は払っていません。米国の判例では大統領に肖像権はないんです」と説明する。五年前には旧ソ連のゴルバチョフ元大統領が池上通信機のCMに登場して話題となった。同氏の大統領就任式のニュースフィルムを使用したもので、この時は同社とソ連との友好関係から“ノーギャラ”での登場だった(一九九三年一月二十七日、日刊スポーツ新聞)]

ジョー勝野からニューヨークの今朝の新聞にこんな記事が載ったと、ファックスも入ってきた。

[CLINTON-JFK PHOTHELPSBOOSTJAPANES FIRM,S IMAGE(クリントンとJ・F・ケネディの写真が日本のフィルムメーカーのイメージを高める)

クリントンの写真写りが良いことは大統領就任式でのカメラマンたちだけでなく、日本のフィルム会社の人々も同感していたようだ。

十六歳の若きクリントンが故ジョン・F・ケネディ大統領と出会った時の古い写真が今週から旭フィルムのテレビCMとして流されている。アメリカのPR会社によると、これはクリントンの側近より許可を得ているものであった。このコマーシャルではケネディとクリントンが群衆に演説するシーンもある。

「一枚の写真の持つ力を信じたい」とコマーシャルの最後にナレーションが入る。就任の報道がある二カ月間、放映される事になっている。

銀座広告社のクリエイティブディレクター、野村憲一氏は「私たちは人を動かす写真を探していて、若きクリントンがケネディ大統領と握手をしている写真はぴったりだと思った」とコメントし、三十秒と六十秒のCMを作った。さらに「私たちは日本人にもっとクリントンを知ってもらうことによって日本での人気も高められると思った」と野村氏はいう。

米国のPR会社、フイッシャーマン&ゴールドウィン社のワシントンオフィスの筆頭社長、エリック・ゴールドウィン氏は、「クリントンの写真を使う事は日米親善の一助になるだろう」とコメントした。「銀座広告社から写真の転載について問題があるかどうか調べて欲しいという依頼をうけてクリントンサイドに照会したところ、なんの問題もないという返答だった」とも語っている。

ホワイトハウスのプレスオフィスからこのコメントについての答えは得られなかった。(一九九三年一月二十二日ニューヨーク・ニューズディ紙)]

放映が始まってすぐ、日米の取材対策について、野村が虎の門の旭フィルムに打ち合わせにいくと、板倉が満足気な顔で話してくれた。

「今日嬉しい電話が大阪支社からありました。なつかしい声でした。僕がうちに入って最初に配属になった輸出第五部の当時の課長さんです。この人にはビジネスとはなにか、社会とはなにかをみっちり教え込まれました。今日が定年退職の日なのです。

この一年、大阪支社長という役員をしながら、自分の旭フィルムでの人生とはなんだったのかを考え続けてきたそうです。そして僕らのコマーシャルをみた瞬間、このために俺は働いてきた。人々の心の中にこれと同じ一枚の写真を残すために働いていたのだと確信したというのです。なんと俺は素晴らしい人生を送ったのだと、誇りがもてたと。退職にあわせてこんなコマーシャルを作ってくれてありがとうと感謝されましたよ。

僕の仕事のお師匠さんの退職にコマーシャルが間に合ってよかった」

キャンペーンも終わりに近づいた頃、日経産業新聞にこのコマーシャルについての、記事がでた。暖かい視点に満ちたその記事を読みながら、野村はなんのルートもなく、ニューヨークを駆けずり回り、寒さに震えながら、最後の望みを託して、ワシントン行きの飛行機に乗った日のことを、ずいぶん遠い日のように思いだしていた。

[旭フィルム「写真の力」訴える。心揺さぶる一枚の写真。

日本時間の一月二十一日、米国第四十二代大統領に民主党のビル・クリントン氏が就任した。その直後から日本で放映が始まったのがクリントン大統領誕生にまつわる一枚の写真のエピソードを紹介した旭フィルムのCFだ。

その一枚の写真とは若き日のクリントン青年がケネディ大統領と握手している写真。クリントン氏は少年指導員養成機関の全米大会にアーカンソー州代表として参加したが、その少年たちを当時のケネディ大統領がホワイトハウスで激励した。その時の写真で当時クリントン氏は高校生。ケネディ大統領はダラスで凶弾に倒れる五カ月前の出来事だった。

クリントン青年はこの握手の瞬間、政治家、そして大統領を目指すことを決めたと伝えられている。そして序盤劣勢だった大統領選を逆転に導く大きな力になったのが政治家クリントンの原点ともいえるこの写真だったという。

旭フィルムは悪魔一家を描いた《写写丸》など話題性の高いCFを連発してきた。その一方で同社では「写真とは単なる記録ではなく、その時の思いのかたまりなんだということを伝えることはできないかとずっと思い続けてきた」(宣伝部)という。

そんな時に米国のマスコミが伝えたクリントンとケネディ 、そして一枚の写真のエピソードが同社のスタッフの耳に入った。昨年十一月にクリントン大統領が決まると「無理をしてでもこの題材でCFを作ろう」という意志が固まり広告会社の銀座広告社と一緒になって作業が始まった。

CFで使われたフィルムは米国でみつけてきた。その映像の中には図らずも両大統領の握手の瞬間にフラッシュがたかれた場面が収録されていることはフィルムの試写をしてみて初めてわかったという。

放送は東京、大阪中心で時間枠も大きなものではなかったが、予想を上回る反響が寄せられた。「なぜか涙がでてきた」という電話や「われわれはいい商売をしてきたんだと思った」という同社OBの声までほとんどが積極的に評価する内容だったようだ。中には「是非卒論のテーマにしたい」という女子大生もいたという。

このCFはシャッター音に続いて「残すもの、残るもの、一枚の写真の力を信じたい」というメッセージで結ばれる。 巧みに「写真の原点」を訴えたこのCFが、みたものの多くの心を揺さぶったのは間違いないようだ。(藤井達郎記者)(一九九三年三月一日、日経産業新聞)]

新聞を読み終えると、マッキャン・エリクソンの秋田麻比古から電話があった。

「明日、ゴールドウィンが北京の出張の帰りにちょっとうちの会社にも寄ることになってね。なに、業務提携の契約延長という書類のサインに立ち寄るんだ。よかったらみんなで飯でも食べないかい」

野村は拓馬と旭フィルムの板倉修二も誘うことにした。

「ケン、栗キントンというのはとてもスウィートだったよ。わざわざ送ってくれてありがとう。妻以上に僕がファンになってしまった」

そういってエリック・ゴールドウィンが大きな手を差し出す。

ゴールドウィンは自分の身体を半分に折り曲げるようにしてイレーヌのドアをくぐった。グラスとグラスをぶつける。その瞬間、五人の酔いは一気に沸点に達した。

拓馬が左右に体を揺らせながら、少しろれつの回らない口で板倉修二にたずねる。

「前から聞きたいと思っていたんですが。板倉さんのところの社長はオーケーでもノーでもかまわないといって、僕らはニューヨークに出張にでた。もし万一オーケーが取れなかったらどうなっていたんでしょう」

拓馬の質問に板倉は困った顔をした。「答えないといけないかね」と拓馬に聞いた。

「ええ、ぜひ、そのことを知りたいのです。ニューヨークでノムさんにはノーといって帰るわけにはいかないのだといわれました。本当に出張費もでなかったのでしょうか」

板倉は苦笑しながらいった。

「出張費がでるとかでないではなく、大変なことが起きていた。ノーだったら、僕は会社を辞めていた」

板倉の答えに野村は驚いてどうしてと聞き返した。

「実はイエスでもノーでもかまわない、返事だけをとってこいといったのはこの僕なのです。トップには銀広がすでにルートをみつけてあって、問題なくこのコマーシャルは放映できるといったのです。そうでもいわなければ、この日米関係が微妙な時期にあんな大胆なコマーシャルが放送できるわけはなかった。鳥居部長には打ち明けました。お前がそこまでいうのならやってみろといわれました。あの人は僕を暖かく見守ってくれていました。助かりました。でもこれは本当に僕自身の勝負だった。

確かに、いろいろなヒットコマーシャルを手掛けてきました。でも写真という本質に迫る、企業の存続そのものを語るコマーシャルを手掛けていないという想いがどこまでいっても付きまとっていた。ヒットコマーシャルを作れば作るほど、どこか空しくなる。僕のやりたいのはこんなことじゃない。写真の本質を語りたいのだと」

板倉はグラスの氷をゆっくりと音をたてて回した。そして続けていった。

「野村さんから提案があった時、これだと思った。この機会をなくしたら僕自身がなくなってしまうと。うちの社長は石橋をたたいても渡らない人です。イエスかノーかわからないではオーケーをだすはずがなかった。だから社長にはすでに銀広はオーケーの取れるルートを持っているといって、あの企画を承認させたんです。

最終返事がきた時には正直いってほっとした。フォルターマイヤーに連絡がとれなかった時は責任は自分がとるつもりでした。

命をかければ想っていることは手に入るとつくづく今回は確信しました。僕はずっとそんなやり方でやってきたのに、ここのところそれを忘れていた。そのことを思いださせてくれる仕事でした。会社を辞めずにすんでよかった。今はつくづく皆さんに感謝しています」

そういうと板倉はカウンターに深々と頭をさげた。

「このおっさんたちにはつくづくかなわない。近頃の銀座のカウンターではなかなか聞けないいい話よ」といいながら智子ママは目尻を着物の袖口でそっとぬぐった。

秋田が板倉の話をゴールドウィンに一言ひとこと丁寧に訳していく。秋田の訳が終わると、ゴールドウィンが大きな手で、板倉と強く握手した。そしてゴールドウィンはふたりの手を、何度も野村の二の腕に強くぶつけた。

そんなゴールドウィンに野村がいった。

「エリック。君にも質問がある。栗きんとんのお礼にどうしても答えて欲しい」

「ケン、どんな質問でもオーケーだ。なんでも答えるよ」

「僕が報酬をはっきりしたいといった時エリックは即座にナッシングだといった。それは十二年間の秋田の友情に応えるためと、こんなグレートでダイナマイトで、パーフェクトなアイデアを考えだした、日本の友人に対する尊敬と称賛のためだといった。でもこの二カ月大変な思いをいたのはエリック、あんたなんだ。忙しいにもかかわらず、無償でなぜ引受たのか、今でも僕はわからない。本当に友情と尊敬だけだったんだろうか。こんな大変なことの報酬が栗きんとんだけだったのに」

「答えないといけないかね」とゴールドウィンは少し酔いの覚めた顔でいった。

「できれば」

「実はケンが見抜いたとおりなんだ。これをみて欲しい」

ゴールドウィンは内側のポケットを探って、マーククロスの財布をとりだした。その財布のカード入れから一枚の写真を抜き出すと、イレーヌのカウンターに置いた。

みんながその写真を覗き込んだ。

それはケネディと握手をしている写真だった。

しかし少年はクリントンではなかった。

「この写真の握手している少年が誰だかわかるかね」とゴールドウィンは聞いた。

みんなそれが誰だかわからなかった。クリントンでないことだけは明かだった。

「わかった」と両手を打ちながら、智子ママが大きな声をあげた。

「すごい。エリックさん、これもしかしたら、わぁ、あなた。本当なの?あなたも若い時にケネディと握手していたの?えっ、クリントンと一緒の庭にあなたもいたの。ちっともかわっていないじゃない。髭を取ると今のエリックさんそのものじゃない」

智子ママは女性らしい勘でその少年がゴールドウィンなのを見抜いた。図抜けた背丈の大きさといい、それは確かに若い日のエリック・ゴールドウィンだった。

「あの日僕はペンシルバニア州代表として、少年指導員養成機関の全米大会に参加していたんだ。そしてクリントンと同じようにケネディと握手した。

あの握手が僕の人生をクリントンと同じように決めたことは確かだ。早くから政治の世界を志望した。だけど一人はロビーストになり一人は大統領になった。それだけだ。

でも、ケンありがとう。君らが僕のことをフィルムにしてくれようとしているのだと、初めてVTRをみた時思った。

あの時、ケネディが壇上から庭先の少年たちが並んでいたところに下りてきたところで、何度もビデオを止めてもらっただろう。あの列の先頭に僕が写っていた。

そんなフィルムがあるなんて今の今まで知らなかったから、とにかく驚いた。これはどんなことがあっても、放映できるようにしようと思った。

報酬なんてどうでもよかった」

「みたい。そのフィルムに写っているゴールドウィンさんを今すぐみたい」

智子ママが子供のように叫んだ。感情が押さえられなくなるところが、このママの困ったところでもあり、かわいいところでもあった。

「みにいこうか、銀広の試写室へ」

そういいながら野村は時計をみた、午前三時を回ろうとしている。なんとか頼み込めば守衛は会社に入れてくれるだろう。野村、拓馬、ゴールドウィン、秋田、板倉、智子ママの六人はイレーヌの店の閉めると銀座通りを歩いた。夜の底にもう春の暖かさが潜んでいた。

寝ている守衛を叩き起こし、何度も詫びながら六人は試写室に入った。

ジョー・コッカーのしわがれた声が流れだした。

ケネディが壇上で演説をしている。そして少年たちのいる庭先に手を差し伸べながら、下りてきた。そこには少年たちが緊張した面持ちで立っていた。ビデオテープを止める。先頭に抜きんでて背の高い少年が写っていた。

確かにそれは今、野村たちの目の前にいるゴールドウィンの若い日の姿だった。

「もう一度みせて。ゴールドウィンの方が栗キントンより数段いい男じゃない。

こんな若い子が今目の前にいたら食べちゃったかもよ。ねえ、もう一度みようよ」

イレーヌの智子ママは何度も何度もそのコマーシャルフィルムをみたがった。

ケネディが壇上から手をさしのべながらホワイトハウスの庭先に降りてくる。

そう確かにそこにいるのは若い日のゴールドウィンだった。

その日、野村は鹿児島でなにをしいてたのだろう。たいしたことのない、小犬がじゃれあうような毎日を送っていたことだけは、確かだ。

同じ団塊の世代といわれながら、野村はゴールドウィンとの出発の違いを痛感した。

<< back next >>
  
▲ ページトップへ